「どこか遠くへ行きたい」
現状が忙しければ忙しいほど、苦しければ苦しいほど唐突にそう思うことがあります。
それはまだ見たことのない世界への憧れと、全部投げ捨ててどこかに逃げてしまいたいという、ポジティブとネガティブが溶け合った感情です。
今回はそんな気持ちが起こる理由と、向き合い方を考えました。
目次
どこか遠くへ行きたい、逃げたい、旅に出たい心理
そもそも人はなぜ「どこか遠くへ行きたい」と思うのでしょうか?
理由は色々あると思います。
- 学校、職場、家に居場所がない
- 多忙で精神的に病んでいる
- 多忙で身体が疲れている
- 暇、退屈
- 目標、目的、生きがいの欠如
- 本や人の影響
- 一人になりたい
- 現状と将来への不安
- 仕事のミス
- 失恋
- よく分からない
これらの根底には「現在の環境もしくは自分自身への不安や不満」があります。
それでいてどこかへ行きたいと思えるくらいに心の余裕があります。
僕の場合はこれらの理由が複合的に混ざり合って顔を出します。
たとえば、仕事が忙しい時期に旅行記や幻想的な世界観の物語を読む。
そんな時、僕は旅に出たくなります。
今が踏ん張りどころでどうしても投げ出せない時に限って、遠くへ行きたいという気持ちが出てくるのです。
悪く言えば逃げ、または色んな意味での自由を求めていると言えますね。
オランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホは日本を「知的で感性豊かな人々が住むユートピア」として、半ば妄想に近い憧れを抱いていました。
その執着は日本によく似た地域(だと思い込んでいた)、南フランスのアルルに移り住むほどです。
実際の日本がユートピアであるかはさておき、ここで言いたいのはゴッホが共に絵を学び切磋琢磨できる仲間を求めてどこか遠くへ行きたがっていたということです。
ゴッホが日本に憧れたように、僕たちもここではないどこかに自分の理想を投影しているのかもしれません。
どこか遠くへ行きたい時の解決策
①どこか遠くへ行く
実際にどこかに行ってしまいましょう。
学生なら長期休みを使えば行けます。
お金なんてバイトして少し貯めれば行けます。
しかし会社員として働いている人には難しい提案です。
仕事を辞めるか、長期休暇を取るか、
いずれにせよそう簡単には決断できないのがネックです。
②旅行に行く
ちょっとの休みを利用して旅行に出かけましょう。
日々の喧騒を離れて大自然に触れたり、山奥の秘境温泉でダラダラすればいい塩梅。
悩みの解決にはなりませんが、一旦の息抜きになります。
③近所を散歩する
どこかへ行きたいと思いつつも遠出する気力がない方は、近所の公園や山に行くのがオススメです。
自然の中に行くだけでも、非日常感を味わうことができます。
④本を読む
「どこか遠くへ行きたい」という気持ちに合った本を読みましょう。
絶景写真集や旅行雑誌でもいいですが、後半にオススメ本を紹介しておきますのでそちらも参考にして下さい。
⑤遠くへ行ける環境を作る
〇〇の為に仕事をがんばってる。
このように動機付けしている方は多いかもしれませんが、その大半は根本的な物事の解決に向かっていません。
たとえば旅行のために今がんばってる、のであれば旅行の最中は全てを忘れられるでしょう。
しかし帰ってくれば相変わらず元の日常があるし、仕事の悩みは何も変わりません。
どこか遠くへ行きたい人におすすめの漫画
ARIA/天野こずえ
テラフォーミングされた水の惑星「アクア」で観光水先案内人を目指す少女(水無灯里)の物語。
基本的に1話完結で周囲の人々との関わりや四季折々の日常が描かれていきます。
牧歌的で暖かな雰囲気に包まれながら、登場人物達がゆっくりと成長していく姿に引き込まれます。
僕はこの作品を現代版『赤毛のアン』だと思っています。
作中で描かれるのは楽しいことばかりではありません。
苦しいこともあれば、困難なこともたくさん出てきます。
しかし、『ARIA』には重苦しさや暗い雰囲気は一切ありません。
美しい景色を探すのではなくて、今目の前にある景色の中に美しさを探す。
それを可能にしているのが水無灯里の想像力と前向きさなんですね。
架空の世界で描かれているのは、極めて現実的な人生哲学ばかりでした。
ヨコハマ買い出し紀行/芦名野ひとし
人類が徐々に衰退して滅亡に向かっている「夕凪の時代」と呼ばれる世界を描いた作品。
舞台は近未来の日本で何やらSFチックな設定に思えますが、作品の雰囲気は一貫してまろやか。
『ARIA』が目標に向かって進んでいく「動」の物語だとすれば、こちらはゆっくりと時間の流れを見つめる「静」の物語です。
コーヒー豆を買う為に遠出したり、新しいカメラを手に入れて近所をぶらぶらしたり、
何でもない日常が淡々と描かれているだけなのに何故か懐かしくて切ない。
ゆっくりと、でも確実に時が流れて周囲の環境が変わっていく様子は、
抒情的な詩を読んでいるかのような後味を残します。
どこか遠くへ行きたい人におすすめの本
山頭火句集/種田山頭火
漂泊の詩人・種田山頭火の句集です。
・分け入っても 分け入っても 青い山
・どうしようもない私があるいている
・まっすぐな道で さみしい
山頭火が作るのは「自由律」という形式にとらわれない俳句です。
これはありなのか?と思うかもしれませんが、逆にこれだけ削ぎ落してもその景色や心情をイメージさせられるのは凄いことだと思います。
山頭火は仕事をしても長くは続かず、酒を飲んでは暴れて、友人からは借金まみれと、絵に描いたようなダメ人間でした。
それでも詩の創作だけにはひたむきで、なんと40歳を過ぎてから放浪の旅に出て乞食をしながら詩作に励みます。
紆余曲折の人生ですが、40過ぎてからが真骨頂というのは面白いです。
まずは句集を読んでみて、それから山頭火がどんな人物だったのかを調べるとより感慨深いです。
日本ぶらりぶらり/山下清
裸の大将・山下清の放浪日記。
学校を飛び出しては放浪の旅を繰り返した清は、いつも「どこか遠くへ行きたい」と思っていたようです。
その理由は兵役から逃げたかった、日々が退屈だったなどありますが、清は自身の放浪癖を「一種の病気」だと言っています。
理由は分からないけど飛び出さずにはいられない。
希代の画家にとって一番の欲求は絵を描くことよりも旅することだったのかもしれません。
アルケミスト
教室の課題図書コーナーにだいたい置かれてる有名作品ですね。
・自分が本当にやりたいことの為に、今の環境を捨てて旅に出る。
・様々な試練を乗り越えて宝を手にする。
物語はスピリチュアルなニュアンスの表現が多いけど、構成は上記の通りシンプルで美しい寓話のようになっています。
それでいて単なる冒険物語ではなく、人生における大切なことが随所に散りばめられているので無駄なページは一つもありません。
携帯して何度も何度も繰り返し読みたくなる本です。
おくのほそ道
日本で一番有名な俳人である松尾芭蕉の紀行文。
「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり」
という序文は教科書で読んだことがあるのではないでしょうか?
この序文で語られている、「片雲の風にさそわれて漂泊の思いやまず」にある通り、芭蕉もまた旅に憧れていた人物だったんですね。
ただ、芭蕉の旅は単なる旅行ではありません。
その本質は古人たちの足跡を辿りながら自身の創作に没頭する、「風雅」の道を極めるための果てしない旅でした。
言ってしまえば芭蕉は歴史オタクです。
先人リスペクトに溢れたオマージュやパロディをガンガン使うし、歴史的な名所を訪れて感動の涙を流すこともあります。
「おくのほそ道」は究極の聖地巡礼旅日記とも言えるのです。
俳句のきた道 芭蕉・蕪村・一茶|無能無才にして、この一筋につながる
まとめ
「どこか遠くへ行きたい」
しかし行った先に楽園はないでしょう。
もとい、楽園があるかは完全に運です。
たとえ憧れの場所であっても、実際に行ってみれば少なからず理想と現実の差があります。
でも、だからこそ行きたいと思うんですよね。
動機は現実から逃げたいでもなんとなくでも、何でもいいんです。
どこかに行って「何も見つからなかった」は立派な成果だと思うし、まったく意図しなかった場所で何かを掴めたりすることもあるでしょう。
だから唐突に「どこかへ行きたい」となったら行ってみればいいと思います。
全部投げ出せるなら投げ出せばいいし、そうする勇気がないなら環境を整えてから実行に移せばいいし、「行きたいのに行かなかった」で年をとっていくのが最も後悔が残ると思います。
苦しくて逃げ出したいのか、ワクワクしてじっとしてられないのか。
もうわけわかんないまんま、旅に出ればいいと思います。
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