今まで聴いた中で一番好きな曲。
そう聞かれても、いきなりパッとは答えが出ないものです。
気分によって変わるし、時が経つと変わってくるし、
好きな曲に順位なんてつけてないから分からないという人も多いでしょう。
僕も好きな曲がありすぎて、ノータイムで「これだ!」とは言えませんでした。
けど、文句なく好きだと言える曲はすぐに出てきます。
その一つがザ・ハイロウズの「十四才」。
これは、とんでもない曲です!
※歌詞に関しては著作権云々があるので丸ごとの引用はせずに部分引用で説明していきます。
曲を知らない方はyoutubeで聴くなり歌詞をググるなりして補足して下さいませ。
「十四才」の歌詞の意味
①ジョナサンと甲本ヒロト
冒頭から何度も出てくる「ジョナサン」。
それが誰なのか、作詞作曲を務めた甲本ヒロトさん本人によると、
『カモメのジョナサン』のジョナサン・リビングストンから来ているそうです。
『ジョナサン』はいろんな取り方があるけど、
一番は『かもめのジョナサン』だな。
リチャード・バックは『イリュージョン』が最初で、
『かもめ――』は最初映画で見たんだよ。
それから、14歳の時のイメージは定期的に襲ってきてたんだよ水道橋博士の「博士の悪童日記」-6月13日 金曜日
イントロに入る風の音、カモメの声、「音速の壁にきりもみする」という詞からも、
ジョナサン・リビングストンがこの曲の重要なテーマになっていることが分かりますね。
『かもめのジョナサン』については後述するとして、
もう一つ重要なテーマになっているのが、タイトルにもある「十四才」のヒロト少年の記憶です。
「一発目の弾丸は眼球に命中 頭蓋骨を飛び越えて僕の胸に
二発目は鼓膜をつきやぶり やはり僕の胸に
それは僕の心臓ではなく それは僕の心に刺さった」
直接は表現されていませんが、この部分はヒロトさんが初めてロックを聴いた時の衝撃を表しています。
初めて出会ったロックンロールが胸に突き刺さるくらい心に響いたってことですね。
また、物凄い速度で飛ぶカモメを弾丸に喩えて、『かもめのジョナサン』に衝撃を受けたと取ることもできます。
②「リアルよりリアリティ」の意味
曲中で何度も繰り返される「リアルより リアリティ」。
難解ですね。
僕はこの部分を、ヒロトさんがロックに出会ったことで起こった価値観の変化を表していると考えました。
様々なインタビューで言われていますが、ヒロトさんはロックに出会う前はやりたいことがなくてニートになりたいと思っていたそうです。
もちろんニートという言葉は使っていませんが、ぼんやりとゴロゴロしながら親に養ってもらえればいいなーと思っていたのだとか。
しかし、ロックと出会ったことで、
「ロックをやりたい、ロックンローラーになりたい」
と考えるようになったそうです。
しかし生活していくため、お金を稼ぐためにロックンローラーを目指すのはあまり現実的ではありません。
もちろん、ヒロトさんもそのことは分かっていただろうし家族の反対もあったと思います。
ロックンロールをモテるための手段と考えるか、ロックンロールそのものが目的なのかの違いかな。
「ロックやって金持ちになりてぇ!」とかいう人がいるけど、その人の目的はカネですよね。
「じゃあ、お前カネが欲しいんだな、ロックじゃなくていいんだな。宝くじ当たったらもうやんないんだな。めちゃめちゃモテて、カネがざっくざっくあったら、ロックやんないんだな」ってなる。
そういうことじゃないですよね。【ザ・クロマニヨンズ インタビュー】ヒロトとマーシー、2人のレジェンドの出会い「ピンと来てなかったら、こんなに長く一緒にやってない」
↑こちらは2016年のインタビューになりますが、ヒロトさんはモテたいとかお金(生活)のためにロックをしているわけではないと言っています。
「ただ単純に好きだから、楽しいから、飽きないからずっとやっている」と続けます。
「ホントそうだよな どうでもいいよな
ホントそうだよな どうなってもいいよな」
だからこそ上の歌詞では、ジョナサンの「スピードを追及する」という常識外れな生き方に共感を示しているのです。
つまり「リアルより リアリティ」とは、
今まで自分が見てきた常識や慣習といった現実(リアル)より、
ラジオから流れてきたロックに生き方の本質(リアリティ)を見た。
という感じでしょうか。
や、なんかもっとこう、
今までずっと退屈してたけど、本当に好きだと言えるものを見つけた。
そういう意味でロックとの出会いが、
「今までのリアル(現実)より、リアリティ(現実味)があった」
という感じでしょうか。
もしくは大多数に共有されている価値観だけが現実ではなく、
各々の心に響いたものにこそ現実味があることに気づいた。
…。
これ言葉で説明しようとすればするほど野暮で冗長になってきますね。
「リアルより リアリティ」。
普通に説明したら恥ずかしいから削ぎ落して研ぎ澄ませてこの2語に集約している、そんな気がしました。
もちろん歌詞全体を通して見ないと抽象的過ぎて理解できなくなりますが…。
ブルハ時代のヒロトさんの歌詞は分かりやすくてシンプルかつ強力なメッセージ性が特徴でしたが、
「十四才」では、そのエッセンスを残しながらさらにシンプルにもっと言葉を少なく、
作詞家として明らかに別の次元に進んでいることが分かりますね。
それはピカソが「青の時代」を経て「キュビズム」に到達する過程を思わせます。
結果、抽象性が増したことで難解になりますが、
受け手に解釈が委ねられることで、より幅広く多くの人に刺さる表現になっている気がしました。
実際、この部分は解釈が十人十色でネット上にも様々な意見が転がっています。
個人的に面白いなーと思ったのは、「現実より現実味。事実より、そこに産まれる心の動き」という意見。
これだけだと少し難しいですが、続けて以下のように説明されていました。
「写実画家の書いたリアルなヒマワリ、 本物のヒマワリ、ゴッホのヒマワリ。
色々ありますが、自分が見て心が動いたのをヒマワリと言いたい」
これはヒロトさんが雑誌でゴッホの絵を例に挙げて話した内容のようですが、どの雑誌かまでは書かれていませんでした。
例に挙がっている3つのヒマワリで「どれがヒマワリですか?」と聞けば、事実としてあるのは本物のヒマワリです。
しかし質問を変えて「どのヒマワリが一番好きですか?」と聞けば、その答えは人によって変わってきます。
どれが正解とかじゃなくて、各々が一番いいなーと感じたものを選び取っていくことが面白いんじゃないか。
それは人の生き方においても同じことが言えます。
追記
絵を描くにしても、詩を書くにしても、お話を作るにしても、
いつでもほんとうのことを書かなくてはいけないのですが、そのほんとうのことというのは、
眼に見えたそのままでなく、真実よりもなお真実という精神的な部分に命中したとき、私たちは感動するのです。やなせたかし『風の口笛 メルヘン作者の人生はメルヘン』1991年、p70
やなせたかしさんの著書『風の口笛』に、面白いことが書かれていました。
この本が書かれたのは十四才が作られるよりずっと前です。
ロックでも、メルヘンでも作り手は嘘をついてはいけないと思います。
それは必ずしも真理だとか普遍性みたいに高尚ぶったことを言えということではありません。
聴衆に受けそうだからとか、この方が売れそうだからといった欲望だったり、
こんなことを書いたら炎上するのでは、嫌われるのではといった保身でもなく、
自分が本当に心の底から思っていることを素直に出すということだと思います。
③ロックンロールという生き方
ここまででヒロトさんが、
■『かもめのジョナサン』のジョナサン・リビングストンの生き方に共感した
■ロックンロールに出会って心を打ちぬかれるような衝撃を受けた
ということが分かります。
そうなったら次に考えることはこれしかありません。
それじゃあ自分はどう生きるか?
続く歌詞からは様々な石の在り方が挙げられていきます。
「土星の周りに丸く 並んで浮かぶ石がある
アリゾナの砂漠 逆立ちで沈む石がある
置かれた場所に 置かれたままの石がある
金星のパイロンをかすめて 輝きながら飛び去る石がある」
これが、ただ石を説明している歌詞でないことは言うまでもありません。
ここでは「人の生き方」を「ロック(石)」になぞらえていると考えられます。
つまり、色んな石があるように人の生き方にも色々あるよねって言ってるわけです。
「流れ星か 路傍の石か」
どれがいいとか正解とかって言ってるわけでじゃなく、
意識的にせよ流れるままの無意識にせよ、どう生きるかは自分次第。
少なくともヒロトさんは、自分の生き方を自分の意思で決めようとした、ということです。
見栄とか体裁とか金とか名声の奥にある、自分の本当の気持ちに向き合って素直に生きていく。
ロック(意思・意志)を、ロールさせていく。
だからロックンロールって格好いいんですね。
忌野清志郎さんが「トランジスタラジオ」でうまく言えたことのないこんな気持ち。
「十四才」にはそんな気持ちへの一つの答えが出されているように思いました。
「十四才」と『カモメのジョナサン』
『カモメのジョナサン』は「十四才」の解釈を助けて、楽曲をより味わい深いものにするためのテキストとも言えます。
タイトルを聞いたことのある方も多いと思いますがその内容は、
ジョナサンという一匹のカモメが飛ぶことの限界を追及して、
その過程で様々なことを学んでいく物語となっています。
カモメが飛ぶのは餌を取ったり移動するため。
それが当たり前で、これまでもそうやって生きてきたのがカモメという生き物でした。
しかし、ジョナサンは飛ぶことに夢中になり、より速く飛べる方法を模索している異端の存在。
その生き方は仲間のカモメから理解されず、とうとう群れから追放されてジョナサンは孤独になってしまいます。
それでもジョナサンはひたすら飛ぶことを追及します。
彼は自分が何に感動して、何をしている時に生を実感するのかを大切にしているからです。
そんなジョナサンにヒロトさんは何度も語り掛けます。
「ホントそうだよな どうでもいいよな
ホントそうだよな どうなってもいいよな」
ジョナサンの生き方は誰にも理解されないかもしれません。
そんな生き方をしていたら死んでしまうかもしれません。
それでも、やりたいようにやれているなら「それでいいよな」と言うのです。
「ジョナサン 人生のストーリーは
ジョナサン 一生じゃたりないよな」
やりたいことをやるには人生は短すぎます。
やりたいことがいくつもあるなら、人生は一度では足りません。
しかし、人生は誰にも一度きり。
だから、その一度きりを全力で生きるためには、世間の常識や人からどう見られるかを気にしている暇はありません。
そんな気持ちを大切にしているのが、「十四才」という曲なのです。
まとめ
歌詞のラストは以下のように締め括られています。
「あの日の僕のレコードプレーヤーは
少しだけ威張ってこう言ったんだ
いつでもどんな時でも スイッチを入れろよ
その時は必ずお前 十四才にしてやるぜ」
これは昔を懐古しているわけではありません。
むしろその逆で、あの頃のワクワクをまったく忘れていない、
忘れてしまってもレコードを聴けばいつでも新鮮な感動を味わえる。
ということを歌っています。
思いっきり主観で書きましたが、
僕の「十四才」の解釈はそんな感じです。
・ロックンロールの初期衝動(初めてロックを聴いたときの感動)
・好きなことに情熱をかける生き方(ジョナサンへの共感)
・リアルよりリアリティ(自分の感性を大切にするという価値観)
やっぱり言葉にしようとすればするほど野暮ですね。
でも恐ろしくシンプルで、それなのに実行するのは凄く難しい。
色んなしがらみや付き合いを経験して、社会の中で擦り切れて色あせてくると、
いつの間にか世間の常識や自己顕示欲のような、相対的な価値観で物事を判断するようになってしまいます。
これはロックを聴けば戻せるよってことではありません。
ヒロトさんにとっての「ロックンロール」が、
ジョナサンにとっての「飛ぶこと」が、
あなたにとっての何であるかということです。
そのためには自分の心と向き合うことを止めてはいけません。
どこに向かうにしてもロックをロールさせるように、
常に心を動かし続けることが大切なのです。
私も1番は決められませんが、大好きな曲の1曲です。先日ジョナサンリッチマンとハイロウズのイベントのthat summer feelingのビデオを観ていて、今みたジョナサンリッチマンが気になって色々渡り歩いていたらここに辿り着きました。
曲それぞれの真理を読み解こうとすると、野暮かなーとやめてしまいがちですが、丁寧に思考を進められていて感心致しました。
最近つくづく自分の好きな曲があるっていうことは、人生に置いて素晴らしいことだなー。とかしみじみ思いつつ、これからもロックの世界を細々と進んでいきます。
コメントありがとうございます!
十四才を聞くと未だに「で、お前はどう生きるの?」と問いかけられてるような身が引き締まる思いになります。
今もこれからも色んな音楽を聞いていくと思いますが、この曲は僕にとってはお守りのようでありながら、それでいて見張られてるような緊張感と恍惚を与え続けてくれるのだと思います。