物々しいタイトルですみません。
どうも、渡辺です。
今回は出口の見えない不安感との向き合い方について考えみました。
出口が見えないという不安・恐怖
仕事、お金、人間関係、健康、結婚、老後など。
人生には様々な悩みが重なることもあれば、
ピンポイントで苦しい状況が続くこともあり、
まるで、出口のない迷路やトンネルを彷徨っているかのように錯覚します。
期限が決まっていたり、これをこなせば解決するという目安があるならまだしも、
どうすればいいか分からない、この苦しみがずっと続くような気がするって時は本当にきついです。
渦中にいる人は心中お察ししますが、あまりにも長く光を見ていないと、
人は深海や砂漠に住む生物のように、出口の無い絶望的な環境に適応することもあります。
しかし、環境に適応するには強い意志が必要。
反対に心が弱いと環境に適応できずに淘汰されていきます。
出口が見えない時どうすればいい?
僕自身、心が弱いし体育会系ノリは苦手だけど、
出口の見えない状況をなんとかするために戦うことを決めました。
ただ、戦うといってもその問題に真っ向からぶつかったり解決しようとしたわけではありません。
とにかく色々考えて試しながら、自分に合った楽に生きる方法を模索した(している)ということです。
悩みから逃げずに向き合うことは怖いことなので、
その部分に関してのみ、強い意志とド根性で向かっていったのです。
出口が見えない時は、とにかく奥へと進む
出口の見えない苦しみは、真っ暗闇で方向すら分からない状況です。
自分がどこを向いているのか分からないから、
進んでいるのか下がっているのかも分からない。
出口に近づいてるのか離れているのかすらも分かりません。
まるで「まっくら森の歌」の世界観です。
いつかどこかで僕の友人はこう言いました。
「悩むのにも才能がいる」
こりゃあ深いですね。
確かに悩むという行為には上手い下手があって、
下手な悩み方をすると単に心を病むだけだったり、
根本的な問題の解決に至らなかったりします。
例えば、
■悩みの本質ではなく、辛い苦しいといった感情しか見ていない
気持ちの面だけで楽になろうとするから、根本的な解決はしません。
人に愚痴ったり気晴らしするのは効果的ですが、
時間が経てば再び悩み苦しむようになります。
■悩みに向き合うことができない
多くの人は悩むことに疲れてしまうので、長時間悩みについて考え続けることができません。
だから、とりあえずの解決案や対策を考えて早く安心しようとします。
手っ取り早く楽になりたいという心理から、占いや宗教が救済になることもあります。
精神衛生上あまり良くないかもしれませんが、
上記の点に気をつけながら、とことん悩み抜くのは大切なことだと思います。
出口が見えない道の先
上手く悩めるようになると、
あらゆる物事を深く考える癖がつきます。
物事を深く考える癖がつくと、
自分が多くのことをよく考えずに選択していたことが分かります。
それは世間一般で言われる常識だったり、
コミュニティに存在する慣習やマナーだったり。
そういうのを破ってアウトローになれって言ってるわけではありません。
今まで刷り込まれてきた1個1個の「当たり前」について改めて考えてみて、
これを守ってる意味はなかった、これは必要ない、これは理にかなってる、
と判断することで、いくらか生きやすくなることもあるってことです。
天才や偉人がしばしば変人扱いされるのには理由があって、
・常識を鵜呑みにせず、自分の頭で考えて判断を下している。
もしくは、
・自分の頭で考えて判断を下すため、常識をまったく知らない。
このどちらかの考え方で生きているからだと思います。
まあ、変人ですね…。
そこから言えるのは、彼らが変だから常識や多数派の反対を選んでいるわけではないということです。
よく「成功したかったら多数派の逆を選べ」と言いますが、
それを言葉のまま受け取るのは少し違くて、その真意は、
「皆がこう言ってるから〜とか、普通はこうだから〜ではなく、自分の頭で考えて判断を下しましょう」という意味だと思います。
悩むのが下手な人は凡人で終わる
悩むのが下手な人は=物事を深く考えないということなので、
何をしても常識をはみ出すことができません。
例えば、
・これを選んだら変な人だと思われる
・こう言ったら笑われる
・こんなの常識的じゃない
・失敗したら恥をかく
といった感情は心にブレーキをかけます。
結果、やらないことで何も得られないけど損もしないという安牌を選んでしまうのです。
よく考えてもらいたいのですが、
そのブレーキは全て気持ちの問題で、実際そうなったところで失う物は何もありません。
もう一度言いますが、常識を無視して何でもやれとか破天荒に行けって意味ではありません。
人からどう見られるとか、実現可能かではなく、
自分がやりたいか、やりたくないかで判断した方がいいということです。
僕は今までたくさんの伝記を読んできましたが、
天才や偉人はとにかく、やってやってやりまくります。
だから失敗の数がかなり多かったり、人としての評価は最低な人もいます。
でも自分が本当に楽しくて幸せを感じられているなら、
人からどう見られるかなんて物凄く些細なことだと思いませんか?
コメントを残す