どうも、渡辺です。
僕はぼっちです。
学校でも会社でも、ネットですらぼっち。
でもそれをどうこうしようとは思ってないし、
する必要もないと思ってて、全てなりゆき任せに生きています。
そんなわけで今回の記事は、
「僕のような社会人ぼっちはブログを始めた方がいい」
という内容になりますが、
その前に、少しだけ僕の話をさせて下さい。
目次
大学ぼっちは社会人ぼっちになる
ハブにされたり、嫌われたり、避けられたりするぼっち。
周囲とのそりが合わなくて自分から離れていくぼっち。
ぼっちには色々なパターンがありますが、僕の場合は後者でした。
学生時代からびっくりするほど周囲に溶け込めなかったんです。
・フットサル!からの打ち上げ
・泊まりでスノボ旅行に行って徹夜で飲み
・海でその日出会った人たちと飲み
・クラブと夏フェスが好き
・何かあれば飲み
↑こういうのとか、
・スタバでmacbook&フラペチーノ
・やたらと人脈アピール
・丈の長いコートとクラッチバッグ
・よく分からんイベントの運営をする
・よく分からん学生団体を作る
↑こういうのも、
なんか違うなーと。
良いとか悪いとかじゃなくて、自分のセンスとは違いました。
そして社会人になっても、
・海外出張に行きまくってるアピール
・仕事帰りにジム通いしてるアピール
・美味しいお酒とお洒落なお店知ってますアピール
・若い頃はやんちゃだったアピール
↑こういうのとか
・趣味はパチスロと車
・休日はドンキかイオン
・やたらとBBQ
・地元のグループ、上下関係が絶対的価値観
↑こういうのも
無理無理無理!ぜーんぶ無理過ぎる!
偏見まみれで恐縮ですが、
こういうタイプがいるのが伝わってくれれば結構です。
こんな風にあれも無理、これも無理と言ってればどこにも居場所なんて作れません。
でも、そのセンスが無理なものは無理なんだから仕方ないです。
だから僕はぼっちでもいいから、自分のセンスに従って生きていこうと決めていました。
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社会人ぼっちで暇、寂しい、孤独だと感じる人の深層心理
元々ぼっちだった人はもちろん、社会人になってから急にぼっちになる人もいます。
急にぼっちになった人は、休日の寂しさに苦しむようになります。
それまでの人生が、周囲に人がありきで回っていたから、
いきなり一人になると、どう過ごせばいいか分からなくなってしまうんですね。
するとどうなるか。
・ゲームをする
・youtubeを見る
・パチンコに行く
・誰かと飲みに行く
とりあえず、暇な時間を埋めるために簡単にできることをします。
ここで注目したいのが、時間を「埋める」と考えてしまっていることです。
いくら時間を埋めても、何とも言えないむなしさに襲われたり、
何かが足りない気がする、寂しい、時間を無駄にしてしまった、
という虚無感を拭うことはできません。
言ってしまえば、ぼっちもそうでない人も目的は「充実した日々を送りたい」のはずです。
そう望んでいるのに、せっかくの時間を「埋めたり」「暇つぶし」に使ってしまうから、
いつまで経っても何かが足りない、このままでいいんだろうかという気持ちに悩まされるのです。
社会人ぼっちはブログを始めよう
それでは充実した日々を送るにはどうすればいいのでしょうか?
行動力のある人は新たな趣味を見つけたり、
前々からやってみたかったことにチャレンジします。
しかし、自分にはやりたいことも特技も何もない。
空っぽだから暇を埋めることでしか、時間を使うことができないという人もいます。
僕はそんな人にはブログを始めてみることをオススメしています。
格好つけた言い方すると、
自分に何もないと思っているあなたには、自分に何もないと感じる感受性と思考力がある、
ということです。
その思考力を活かして、思っていることや考えていることをブログにぶちまければいいわけです。
例えば「どうして自分には何もないと言えるのか、どうすればいいのか、どうしたいのか」。
それを考えてまとめるだけでも何記事か書けそうですね。
何を書けばいいか分からない
何でもいいです。
しかし、何でもいいと言われるほど難しいこともないと思います。
そこでオススメなのが、
客観的事実に対して主観を書く
という手法です。
ニュース、読んだ本、遊んだゲーム、巷で流行っていること、世間の価値観、などなど。
こういった客観的事実に対してあなたが何を思ったか、どう考えたかを書いていく。
そうすると、単なる日記が立派な意見・主張になります。
この記事も、
「休日に暇している社会人ぼっちが大勢いる」
「社会人になってからぼっちになる人が大勢いる」
というネットの情報に対する僕の意見、偏見と提案です。
文章が書けない
いざ書こうと思っても文章が書けない、続かないということはよくあります。
文章は書けば書くほど上達していきますが、
自分の気持ちを上手く言葉にするって滅茶苦茶難しいことなんですね。
本来、人はみな自分の中に軸となる価値観を持っています。
物事の良し悪しを判断する基準、道徳観、嗜好、美的感覚など。
あらゆる物事を選択する際に、これらの価値観を混ぜ合わせて判断を下しているんですね。
しかし、それはハッキリとは意識されず、ぼんやりなんとなくで心の中に存在しています。
そのぼんやり感は、文章を書くことで少しずつ解消されていきます。
だから、文章を書くことは人に読んでもらうだけでなく、
自分自身と対話するという意味もあるのです。
自分自身が分かってくると、こういうのが好きだったのか、この価値観は自分と違う、
といったことが分かってきます。
それが分かると、何に対しても流行り廃りとか古い新しいではなく、
自分が本当にいいと思ったものだけを選び取れるようになります。
自分が本当にやりたいことも見つかるはずです。
そんな時、言葉では上手く言えないけど妙な安心感を覚えます。
「世の中全て変わっていくけど、絶対の物を手に入れた」という感じでしょうか。
文章が書けない人は、自分の中にある無意識の意識を絞り出していけば、
自然と書きたいことが浮かんでくるのです。
宗教じゃないです。
もっと具体的なテクニックや練習方法を教えてくれ
ここに「綺麗な花」があります。
花には元来、「綺麗」という属性なんてありません。
見た人が勝手に「綺麗」と感じているだけです。
ここからがトレーニング。
「あなたは何故その花を綺麗だと思ったのか?」を具体的に考えてください。
色、匂い、形、場所、思い出?
判断基準はたくさんあります。
好きな本に出てきた花、好きな歌に出てきた花、好きな人が好きだった花、
その花にまつわる物語が好き、花言葉が好き。
綺麗だと思った理由は何でも構いません。
これが、あなたの感受性を鍛えるトレーニングになります。
そして花以外でも、何かを見て「なんかいいな」と感じた時は、
写真を撮ってSNSに投稿して終わりじゃなく、
その「なんか」をできる限り掘り下げてみて下さい。
なんとなくだと思っても、自分がいいと感じた時にはその理由がどこかにあります。
考えても考えても分からない時は、そのままにしておきましょう。
ずっと分からないままのこともあれば、
ある日突然分かるときが来たり、別の物を見た時に点が線になったりすることもあります。
文章を書く為の具体的なテクニックはこちらの記事で紹介しています。
チラシの裏でなく、ブログに書くのはなぜ?
理由は2つ。
・あわよくば収益化させることができるから。
・同じ価値観を持った人と繋がりができるかもしれないから。
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