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何がしたいかわからないまま人生が過ぎて、30代に突入する

何がしたいかわからないまま人生が過ぎていく。

青春はもう僕の隣を歩いてはくれません。

今回はそんな話です。

何がしたいかわからない高校時代

僕は高2の夏休み前にテニス部を辞めました。

理由は惰性で続けていることに気づいたから。

テニスは楽しかったけど、全国で優勝したいとかプロになろうなんて考えもしませんでした。

ましてやなれるわけないと思っていました。

だから辞めるってかなり極端な気もしますが、

当時はそれくらい色々こじらせていたんですね。

 

ダラダラと外周を走って、

早く終われと思いながらサーブ練習をして、

意味もなく部室に長居する。

どこにでもある部活動の風景です。

当たり前で、ありふれた、なんでもない日々の繰り返し。

それだけで自分の高校生活が過ぎていくことに、

焦りと危機感を覚えたのです。

何がしたいかわからない大学生活

大学生活の集大成といえば卒業論文。

僕は卒論に大苦戦していました。

自分が何を書きたいのか、わからなかったからです。

苦し紛れに出したテーマに決めたものの、しっくりこないまま時間が過ぎていきました。

 

そして4年の夏。

僕の学科では卒論の中間発表があり、

教授や他の学生、後輩が集まる教室で一人ずつ発表が行われることになっていました。

ここで僕は、発表会の1週間前に研究テーマを変更することを教授に伝えました。

教授は驚きを通り越して、言葉を失っていました。

しばらく間を空けてから一言、

「君がこれまで研究してきたことは何だったの…?」

や…まったく仰る通りで…。

何がしたいかわからないままの人生~そして30代へ~

どんな仕事がしたいかわからないから、「休日が多そう」という理由で入った会社。

わずか1年ほどで辞めてしまいました。

その後は何がしたいかわからないから、ハロワに行くふりをしてパチンコをしていました。

そして派遣で入った工場も、数ヶ月で辞めました。

 

何がしたいかわからないけど、

何かをしたいと思ってる。

そんな風に考えてたらいつの間にか、

「今すぐしたい」は、「いつかしたい」に変わり、

ただただ、時間だけが過ぎてゆきました。

何がしたいかわからない原因

長い前置きになりましたが本題です。

僕たちはなぜ、唐突に何かを始めなければと思ってしまうのでしょうか。

 

■生活が安定し過ぎている

友達がいて、趣味があって、充実した日々を送っている。

普通の会社に就職して、普通に働いて、普通に結婚して…、

実際そうなるかは置いといて、なんとなく先が見えてるような生活。

相手の出す手が分かるじゃんけんをしてるような退屈感。

特に問題があるわけではない生活を送っている人は、

何も無さすぎることに不安を感じてしまうのかもしれません。

謎の不安、謎のイライラは原因だけ分かれば解消する必要はない

 

■生活が不安定過ぎる

友達が少なくて、これといった趣味もなく、暗い毎日を送っている。

先が見えない不安感と、このまま年老いていく恐怖感から、

何か夢中になれるものを見つけて、充実した日々を送りたい。

不安と恐怖から、何かを求める人は多いでしょう。

社会人ぼっちで休日が寂しいならブログを始めればいいと思う

 

■虚無感

コンプレックスがあったり、これといった特技が無かったり、

自分には何もない、空っぽだと思っている人は虚無感に襲われます。

生活が安定していようがいまいが、何をしていてもそれはまとわりつきます。

自分は空っぽで中身がないという人のための中身の作り方

 

■時期的な問題

多感な学生時代に悩みだす人もいれば、

30代、40代になってから急に悩みだす人もいます。

順風満帆な人生を送っていようが、ふんだりけったりな人生を送っていようが、

勝ってきた人も、負けてきた人も、

ある日、突然その状態になってしまうことがあります。

時間の流れが早いと感じる社会人に時間を遅くする方法教えます

 

■エネルギーのあるものに触れたとき

映画、本、音楽、絵、スポーツなど。

心に衝撃を与える創作物や、

誰かが脇目も振らず何かに打ち込んでいる姿を見ると、

「今の自分はいったい何をしているんだ?
自分も彼らのように何かに情熱をかけたい」

と思わされます。

ハイロウズの「十四才」の歌詞の意味、ジョナサンとは?

何がしたいかわからない時は探してはいけない

何がしたいかわからないと、ついつい焦ってしまいます。

そうなると、「何かに熱中している自分」を作って安心したくなります。

でも「やりたいことがわからないなら、それでいいじゃん」と僕は思ってます。

「やりたいことを探す」という行為には、矛盾めいた違和感を感じるからです。

 

例えば、味覚って探して決めたものではないですよね。

元々、感覚として備わっていてそれに気付いただけです。

やたいことだってそれと同じで、感性の問題です。

 

本当に美味しい物を食べた時、

「自分はこれが好きだろうか?好きかもしれない」

とは考えません。

問答無用に、

「うめええええええええ」

と感じます。

本当に好きなものに理屈や理由はないんです。

探して選んで「これがやりたいか?」と吟味してる時点で、

大してやりたいことではないんです。

 

だから、やりたいことは探すものではありません。

言いようによっては「探す」なんだけど、

分からないままでいいし、無理して見つけなくていいと思います。

本当にやりたいことに出会った時は、

探していなくても、心が勝手に気付くでしょう。

それまでは、空っぽなままでいいんじゃないでしょうか。

出口が見えないなら出なくていいって話

何かを始められない人へのヒント

やりたいことは分かっているのに、何故か始められない人がいます。

 

・本当にやりたいからこそ慎重になっている。

・本当にやりたいからこそビビっている。

・本当にやりたいからこそ時間やお金がある時に始めたい。

 

こういう人に、「その時」はずっと来ません。

何を躊躇してるのかは分かりませんが、もっと力を抜いた方がいいです。

やりたいからやる、今すぐやる、できる範囲からやる、

結果は知らん。

くらいのマインドでいいと思います。

それは本当にやりたいこと?

「自分はこれがやりたい!」

ちょっと待ってください。

それ、本当にやりたいことですか?

その裏にもう一つ、本当の欲求がありませんか?

例えば…

 

■見返り

見返りを求めることは悪いことではないし、大きなエネルギーを生んでくれます。

お金が欲しい、ちやほやされたい、成功したい、など。

しかし、見返りは後からついてくるものであって、求めるものではありません。

お金は稼げないかもしれない、評価されないかもしれない、うまくいかないかもしれない。

最悪、それでもやりたいと思える。

それが、あなたが本当にやりたいことです。

 

■他者の視線

これを好きだといえば印象が良いから、モテそうだから、カッコよく見えるから、

逆にこれを好きだと言えばバカにされそう、ダサいと思われそう、引かれそう。

他者にどう思われるかを気にするより、自分がどうしたいかで判断することが大事です。

まとめ

何がしたいかわからない状態は苦しいです。

自分が何者でもなくて、空っぽな気がします。

だからと言って、それを探す必要はありません。

空っぽな自分を埋めるために何かをやりたいわけではなく、

好きだからやりたいと思えることをやりたいからです。

考え続けると禅問答みたいで、わけが分からなくなってきますね。

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