今回は遠州七不思議の一つである、「京丸牡丹」を探しに行きました。
場所は浜松市天竜区にある春野町。
険しい山道と林道が続く難所で、人が寄り付くことはあまりありません。
そんな山奥に一体何があるのか。
京丸牡丹とは何なのか?
色々調べながら、実際に足を運んできました。
【遠州七不思議】京丸牡丹とは?
京丸とは春野町の山奥にある村の名前。
牡丹とはお花の種類。
京丸牡丹にはこんな伝説があります。
・ずっと昔、京丸村に迷い込んだ旅人がいた。
・旅人は村に滞在するうちに、村長の娘と恋仲になった。
・村の掟で外部の者との結婚が許されていなかったため、二人は駆け落ちした。
・どこにも安住の地を見つけることができなかった二人は村に戻ってきた。
・それでも結婚を許されなかった二人は、川に身を投げて死んだ。
・その後、二人の命日になると渓間に美しい牡丹が咲き、落ちた花が川の流れで運ばれてくるようになった。
うへぇ…。
悲しくて切ない、でもロマンチックで綺麗な話ですね。
死んだ後、動物や植物に生まれ変わって永遠に結ばれる恋人のお話は、古今東西色んなところにあります。
そんなわけで、このお話には事実の部分と創作の部分が混ざっていると思われます。
駆け落ちした二人が入水自殺したとか、命日に牡丹が咲くって部分は創作っぽいですが、
村の掟により許されなかった恋があったのは、あり得そうな話です。
ともかく、秘境と呼ばれる深い山奥にこんな素敵な物語があって、
それが語り継がれて残り、今僕が触れているということに、
感慨深さと喜びを感じます。
天竜区の秘境・京丸村とは?
京丸村は、1400年頃に南北朝の落人が隠れ住んだのが起源とされています。
・落人は後醍醐天皇の孫の尹良親王(ただよししんのう)?
平家の残党、後醍醐天皇、宗良親王説もあるらしいです。
・存在が確認されたのは享保年間(1716~1736年)。
台風により、下流の石切村にお椀が流れてきたことで発見された。
・村人の性は全て藤原(藤原左衛門佐の末裔)
・村は昭和40年頃に廃村となった。
・最後の住人は藤原忠教さん。
現在は19代目の藤原さんが空き家の手入れをしている。
・7年?10年?60年?周期で巨大な牡丹が咲くらしい
・昭和45年に静岡大学部農学部の斎藤助教授によって調査が行われた。
調査の結果、牡丹は確認されていない。
主だった特徴はこんなところでしょうか。
何百年もの間、人に知られていなかったのは凄いですね。
何よりも、京都方面から逃げてきた落人がこんな所まで行ったということに驚きです。
悲恋伝説に落人の隠れ里、巨大な牡丹を産するという噂…。
こんな面白そうなこと…避けては通れません!
京丸牡丹を探して(川根本町ルート)

京丸村はとにかく山奥。
山奥と言われている川根本町の山を越えて、さらに奥地へと向かいます。
写真は峠の道路から。
かなり高いところまで上っていることが分かると思います。


山道の途中にあった神社?です。
建物は新しく、手入れもされているようでした。
春野町石切

京丸村の下流域にある石切村。
この時点でかなり山奥なので、ここだけでも秘境と言えます。
ただ、本当に店など何もないので観光地としては機能しないでしょう。
綺麗に手入れされたお宮と桜。
何の神様か分からなかったけど、旅の無事を祈りました。
(帰宅後の調べで、尹良親王像が安置されている八幡社であることが分かりました)

これはですね、学校です。
小さくて古い建物ですが、元々は小学校だったようです。
廃校後は、多目的施設(運動教室、演劇、ライブ、朗読会)なんかに使ってたようだけど、
現在は倉庫代わりになっているようでした。

廃校を超えて進んでいくと、道はさらに狭くなり砂利道になりました。
大きめの石が転がっていたり、木が倒れていたり、
通行止めになることも珍しくないようです。

車で行ける限界地点。
赤い門が何か怖いですね。
ここからは道が分かれていて、
僕は特に何も考えずに、左側のルートを行くことにしました。
車から出ると一気に不安が増します。
僕は、秘境を探検するのです。

通行止めはあくまで一般車両なので、
林業で使う人は普通に車で通るのでしょう。
道は整備されていて歩きやすかったです。

ほのぼのしてて、ピクニック感がありますが、
野生のキジや鹿とは何度も出会いました。
キジの羽音は怖いし、鹿が動いたときの藪の音にはかなり驚かされます。
幸い危険生物には遭いませんでしたが、熊やイノシシもいるのかと思うと緊張感がありました。

これはロープウェイ、ではなく資材などの運搬リフトでしょう。
ワイヤーの先は木に包まれていたので、長いこと使っていないことが分かります。

至るところに鉄砲水の後のような水の通り道があります。
写真ではまったく伝わらないけど、岩はかなり大きくて奥はとても深いです。

天然の滝。
ここからさらに奥へと進みましたが、
廃村は一向に姿を現さず。
電波も入らなくて調べようもないので、やむなく引き返すことにしました。
そして、車両通行止めのポイントまで戻り、今度は右側のルートを進むことに。
写真を撮る気力もないくらいに消耗していたので結論だけ言いますが、
京丸村も、大きな牡丹も、何も、まったく見つけることができませんでした。
途中につり橋があったり、人口の滝のようなものがあったりしましたが、
歩けどもあるけども家屋は出てこない。
進み過ぎて、日暮れまでに帰れなくなるのは避けたかったので無念の撤退です。
帰宅後に詳しく調べると、車両通行止めポイントは右側に進むのが正解だったようです。
僕が最初に進んだ左側ルートは外れだったんですね。
自己責任ですが、京丸村がどっちかって看板くらい出しといて欲しかったです…。
ただ、唯一の成果はこちら。

道中では「牡丹がある!牡丹があるぞー」って浮かれてたけど、
後から調べたところ、ただのつばきではないかと思われます。
この赤い花がたくさんあったので、この辺に京丸村があるに違いないと思い込んでました。
まとめ
今回の成果はまったく無しです!
滅茶苦茶楽しかったけど、残念で悔しい気持ちもあります。
最初から右側ルートの奥に京丸村があるって分かってればたどり着けたのに、
と悔やんでも後の祭り。
道中は険しく、車の運転も疲れたので当分は行くことはないと思いますが、
いつかリベンジした時には必ず、必ずレポートを追記します。
そして、悲恋の涙を流した二人の男女に思いを馳せながら、牡丹の花を眺めることができれば最高だと思います。
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