学校でもバイト先でも、どこにでもやばい人っていませんでしたか?
「やばい人ってどういうこと?」
「何がどうやばいの?」
と思うかもしれませんが、
ここで言う「やばい人」とは、
あなたの人生を狂わせる危険性を持った人のことです。
目次
やばい人とは!?特徴など
まず、ヤバい人の特徴をもう少し詳しく定義しましょう。
あなたの人生を狂わせるヤバい人とは、
以下の条件に一つでも該当する人を指します。
・いじめ、嫌がらせ、パワハラをしてくる人
・陰口、悪口ばかり言う人
・平気でウソをつく人
・見栄と自己顕示欲が強すぎる人
こういった性格を戒めること。
これは誰もが子ども時代に教わったであろう道徳観念ですね。
しかし、世の中にはこの道徳観から逸脱したヤバい人が大勢います。
表面的には人格者を装って巧妙に隠しながら悪意を振りまいてきます。
ただ、ここで考えてもらいたいのは、
自分を含め誰だって一度はこれらの条件に当てはまっている、ということです。
苦手な人につい嫌がらせをしてしまったり、
その場にいない人の陰口で盛り上がってしまったり、
とっさに保身のウソをついてしまったり、
人よりも目立ちたい、凄いと思われようとして背伸びをしたり、
そんなことを一度もしたことがないという人はいないでしょう。
人間である以上、誰だってやばいことに手を染めた経験はあるはずです。
しかし、普通の感覚の持ち主であればそこに反省の心が生まれます。
「ひどいことをしてしまった」
「相手を傷つけてしまった」
「あの行為は卑怯だった」
そうした反省を活かして、相手に謝罪するなり人との付き合い方を改めるなりして人は成長していきます。
しかし、
「自分がやっていることは正しい、なぜなら…」と正当化したり、
なんなら悪いことをしたことにすら気づいていない、自覚の無い人もいます。
これが本当にヤバい人です。
つまりヤバい人とは、
人を傷つけたり不快な気持ちにさせて、
まったくその自覚がない or 自覚があって故意に行っている
という鬼畜のような人物なのです。
各条件の細かい説明はするまでもないとして、
「見栄や自己顕示欲が強すぎる人」がどのようにヤバいのかについて。
強すぎる見栄と自己顕示欲はマウンティングとなって行動に表れます。
例えば、サッカーが上手くなりたい人は何をすると思いますか?
普通はサッカーの練習をするでしょう。
しかし、ヤバい人はサッカーの練習を頑張るよりも、
自分がいかにサッカーが上手いかを他者に分からせることに力を注ぎます。
後輩や素人、立場の弱い人に対して自慢話や武勇伝を延々と聞かせたり、
自分より上手い人をいじめたり、こき下ろすことで自身の優位性を示そうとしたり。
真っすぐ頑張らずに周囲との関係性の中で「サッカーが上手い自分」、
もしくは「サッカーが上手いことに何の価値もない世界」を作ろうとするんですね。
学生時代はもちろんのこと社会に出ても、
いや社会の中にこそ、そんな人たちは大勢います。
例に挙げた「サッカー」を「仕事」に変えて考えてください。
人望やモテたい欲求、地位や権力もそっくりそのまま当てはまります。
巧妙に隠しながら行ったり、あくまで「あなたの為を思って」というスタンスを取りながら相手を痛めつける人もいるので、
ある意味では子どもより質が悪いかもしれません。
また見栄と自己顕示欲が強すぎる人は、嫉妬や妬みの気持ちもかなり強いです。
嫉妬や妬みは=「自分が欲しいモノ」を明確にしてくれるので、
その気持ちを抱くこと自体は悪いことではありません。
ただ、そこで自覚した気持ちに対して努力するのではなく、
相手を攻撃したり、自分より下の立場に追いやることで気持ちのバランスを取ろうとする人がヤバいです。
相手が思い通りに動かなければさらに怒り、周囲に悪い噂やデマを流して組織から孤立させようとします。
子どもの世界であればそれが直接的だったり分かりやすかったりしますが、
大人の世界では「大人の態度を演じられる人」が大勢いるので、
真意を隠しながら(自分自身すらも無自覚に)事を行うことができます。
そういう人は、ぱっと見ではいい人に見えたり常識人だったりします。
周りからの評価も高く、仕事や勉強も得意だったりします。
そして、何より上手なのは自分を悪者にせずに相手を攻撃することです。
その所業の鮮やかさときたら攻撃している相手にも、
「これは攻撃じゃなくて愛なんだ」
「悪いのは自分で自分がダメだから色々教えてくれてるんだ」
と錯覚させてしまうほどです。
やばい人の対策、対処法
線引きをする
ヤバい人と距離を置くことができれば楽ですが、
会社ではそうもいかない場合が多いです。
そんな時は、
「ここまでは相手に合わせる、ここから先は譲らない」
というポイントを決めておきましょう。
例えば、
プライベートの誘いには乗らない。
その人がいるグループには一切関わらない、など。
「自分の意志をしっかり持っている、簡単に思い通りにできる相手ではないな」
と思わせることができれば、過剰に振り回されることを避けられます。
心を閉ざす(全てを仕事だと割り切る)
プライベートに友達が多い人は、意外と会社では孤独だったりします。
それは孤立しているというわけではありません。
会社内では会話もあるし、誰とでも仲良く円滑にコミュニケーションをとります。
ただ、誰も信用せず誰にも本心を見せない。
ストレスも苦手意識も何もかも隠して、表面上は穏やかに仲良く過ごす。
一番シンプルかつ真っ当な大人の対応ですね。
副作用としてはストレスがやばいので、外に仲間がいないと病んでしまう可能性があります。
相手を知る
対人関係で大きなストレスになるのは、相手のことが理解できない場合です。
何を考えているのか分からなくて、何故そんなことをしてくるのか理由が分からない。
それは恐怖と困惑を生み出します。
場合によっては、突然いじめられたり嫌われたように感じるので、
自分に落ち度があったのではないか、何かしてしまったのではないかと、
罪悪感と自己嫌悪に悩まされるようになります。
そんな時は一度深呼吸して、相手のことを知るようにしましょう。
何が目的で、どうしてこんなことをしてくるのか。
それは本当に自分のことを思ってのことなのか。
ただ思い通りに動かしたいだけではないのか。
ストレス発散のはけ口にされているだけではないのか。
相手の意図が見えてくれば何かされても、
「この人はこういう狙いがあって、こんなことをしてくるんだな」
と一歩引いた位置から相手を観察することができます。
本当にヤバくなったときのことを想定しておく
今されていることがエスカレートしていったら…、
自分のメンタルが限界になったら…、
コミュニティに居場所がなくなってしまったら…、
考えたくないかもしれませんが、最悪の状況を想定することは大切です。
(避難訓練みたいなものですね)
そして、その状況に陥ったらどうするかもある程度決めておきましょう。
社長や上司に直訴するだったり、相手と話し合う機会を設けるなど。
ただ、こういう方法は面倒事に発展するうえ心身共に消耗するのでオススメはしません。
考えてもらいたいのは「その場所に固執する必要が本当にあるのか?」ということ。
自分の居場所や理解者は外にいくらでもいるので、
限界ラインを超えたら「問答無用で仕事を辞める」、
と決めておくのも全然ありだと思います。
信頼できる人を見つける
心を閉ざすことにも関係してきますが、
誰にも本心を見せずに取り繕って生きていくのは限界があります。
それは問題の根本的な解決ではなく単なる我慢でしかないので、
いつかストレスが爆発する時が来るでしょう。
そうならないためにも本心を話せる人、理解者になってくれる人は誰にでも必要です。
共存する
線引きで決めた引けないラインを意識しつつ、
その他の部分は全て譲る、よいしょするという方法。
媚びるとも言えますが、常に相手を立てる立ち回りができればヤバい人を敵に回さなくて済みます。
ただ実感として、ヤバい人は平気で人を裏切るし手のひらを反すし、
些細なことが原因で物凄い怒りや妬みを抱いてきたりします。
自分自身がやばい人になってないか問う
ヤバい人は自分を客観視することができないので、自分がヤバい人だと自覚できません。
また自分は正しい、何も悪くない、正義はこちらにあると考えている場合は、
自分がヤバいとは露ほども思わないでしょう。
そして、その状態は誰にでも起こり得ます。
大人の社会ではそれを指摘してくれる人はいません。
「あ、この人ヤバい人だ」と判断したら黙って距離を置くだけです。
結果、年齢を重ねて地位や権力を手に入れると、
誰も何も言ってくれない裸の王様になってしまいます。
ヤバい人を見て「ああはなりたくないなw」と笑っている時、
自分自身もまたやばい人の領域に足を踏み入れています。
そうならない為にも、以下のポイントを肝に銘じておきましょう。
・他人はコントロールできるものではないと考える。
・他人との比較ではなく、過去の自分と比べて成長を促す。
・気に入らない、苦手だからといって冷たい対応を取らない。
やばい人とは?改めて考える
会社やコミュニティにヤバい人が一人でもいると危険です。
なぜならその価値観は伝播して、やんわりと少しずつ組織内に蔓延していくからです。
結果、そうでなかった人たちまで狂って、
「皆やってるから悪いことではない」、「これくらいは普通のこと」
と考えるようになります。
そのように自分がヤバい人になっている自覚がなくなることは危険です。
自分が持っている考え方や価値観が、社会が持つ「あるべき考え方や価値観」と重なってしまい、それに気づけない。
やばい人がのさばるコミュニティにずっといると、自然と自分の価値観まで変わっていきます。
愚痴や陰口を言うのが楽しみになったり、人をいびったりマウントを取ることに快感を覚えるようになったり、
果ては日常生活での物の考え方から、趣味嗜好まで似てきてしまう。
それは大人になる、社会を知るということでは断じてありません。
ただ擦れて感覚が狂ってやばい人の仲間入りを果たしただけです。
だいぶ感情的な文章になってきましたが、
僕はそういうコミュニティから降りているので何も気にしません。
ガンガン行きます。
ヤバい人はヤバい人の仲間入りをしない「自分を持っている人」を嫌います。
なぜなら、自分自身のヤバさが浮き彫りになって、自分がひどく矮小に見えてくるからです。
それは陰湿ないじめだったり、嫌がらせからスタートして、しまいには仕事にまで影響を及ぼしていきます。
役割を与えなかったり、居場所を奪って孤立させたり、教育と称して徹底的にいじめたり、同期内で仲間外れにしたり。
もうそれって暴力ですよ。
存在意義を喪失させるという極めて残酷なことをしておいて、
「これが社会の厳しさだ」
「上手くできない/馴染む努力をしないお前が悪い」
「お前は自己中心的で協調性が無い」
と言ってくる。
クソ以外の何物でもないですね。
それが社会の当たり前なら、
その価値観に迎合しなければいけないなら、
そういう仕打ちを乗り越えなければ成長できないと言うのなら、
そんな社会は、辞めてしまえ。
まとめ
やばい人とは?
人を傷つけたり不快な気持ちにさせて、
まったくその自覚がない or 自覚があって故意に行っている人。
やばい人とは付き合うな
社会の潤滑油的な働きをしている社交辞令、付き合い、暗黙のマナーといった物に反吐が出ます。
上下関係とか権威・権力主義にも虫唾が走ります。
相手によってコロコロ態度を変えたり、気にくわない相手を平気で攻撃する奴らに倦厭の情を覚えます。
そして、そんなコミュニティに属することで、
油断すれば自分自身もその色に染まってしまう(むしろすでに染まりきっている)恐怖。
アウシュビッツの看守が拷問を平気で行うようになったり、
スタンフォード監獄実験で立場が人の価値観や立ち振る舞いを変えてしまったように、
日常の中でも価値観が狂うことは普通に起こりえます。
ヤバい人たちに囲まれて生活している人は、
今すぐには無理でも、徐々にその場所から離れた方がいいです。
精神的な自由を目指す
困難な道だけど、やばい人がいる場所からは早急に脱出しましょう。
その後は転職するなり、自分で会社を興すなり色々方法があるとは思いますが、
僕は煩わしい人間関係に悩まされるのがどうしても嫌で、
あまり人と関わらずに、場所や時間にとらわれずに自由に生きられる世界を探しました。
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