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エミリーディキンソンの詩、生涯、成功について−自宅から眺めた世界−

百年を経たあとは

だれもこの場所を知らない

そこに演じられた苦悶も

平和のように静か、

 

わがもの顔の雑草がひろがり

見知らぬ人々はさまよい来て

先に身まかった死者の

寂しい綴り文字を判読した。

 

夏野の風だけが

この道を思い出すーーー

記憶が落とした鍵を

「自然」の本能が拾い上げて

岩倉俊一 訳『ディキンスン詩集』1993.p21

昔住んでいたアパートや、

ずっと昔に取り壊された建物の跡地を通るとき、

なんとなく侘しい気分に襲われます。

想い出の場所、通っていた場所、今いる場所、

場所だけでなく、物も、人も、

いつかは誰も知らない記憶になる時が来る。

「夏草や兵どもが夢の跡」

松尾芭蕉の句を彷彿させるこの詩は、19世紀のアメリカで書かれました。

エミリーディキンソンンが見ていた死

全てが消え去った後でも、場所だけが記憶を留めていることがあります。

ガラスや扉が壊れて内装が剥き出しになった廃墟だったり、

自然に侵蝕されてもう動かない自販機や車だったり、

誰の記憶にも残っておらず、もはやその場所にしか手掛かりがない、

そんな記憶の痕跡を見ていると、何かグワァンとした荒涼たる心持ちになります。

 

この感傷が19世紀のアメリカでも詠まれていたことが面白いと思いましたが、

それ以上に僕の心に引っかかったのは、

この詩の作者が、忘れ去られた場所に「演じられた苦悶」を描いていることです。

 

楽しかった日々でも、賑やかだった時間でもなく、苦悶。

誰の記憶にも残っていない場所を訪れたのなら、

その場所で起こったことは推測することしかできません。

 

しかし、「色々あった」でも「物語があった」でもなく、

ピンポイントで「苦悶が演じられていた」と断言するのは、

この詩で詠まれている場所が、その時作者が暮らしていた場所だったからではないかと思いました。

 

詩の解釈や楽しみ方は自由ですが、

ここでは共感の感情以上に「演じられた苦悶」に、

当事者として苦悶していたであろう作者に、

そうでなかったとしたなら、そこに「苦悶」を当ててくる作者の感受性に興味を持ちました。

この詩の作者であるエミリーディキンソンとはどんな人物だったのでしょうか?

エミリーディキンソンの生涯

名前:エミリー・エリザベス・ディキンソン(Emily Elizabeth Dickinson)
生没年:1830年12月10日 – 1886年5月15日
出身:アメリカ(マサチューセッツ州)

エミリーディキンソンは1830年にアメリカ、マサチューセッツ州アマストの名家に生まれます。

当時の女性としては最高クラスの教育を施され、17歳でウント・ホリヨーク女学校に入学。

しかし、学校に通ったのはわずか1年ほどでした(ホームシック?)。

 

その後は自宅で過ごすことが多くなり、父親が死んでからはさらにその傾向が強まります。

そして、自宅からほとんど出ることなく56歳でその生涯を終えます。

生前はまったくの無名だったエミリーディキンソンですが、

死後1700篇以上に及ぶ詩が発見され、大きな注目を集めました。

 

人との交わりを断ち、外の世界を見ることなく、狭い世界に閉じこもっていた短い人生。

そんな落莫たる孤独は、言うまでもなく彼女の詩に大きな影響を与えています。

 

冒頭で紹介した詩は、やはり彼女自身のことを言っていたのではないかと思われます。

エミリーディキンソンという人間はひっそりと消え去り、100年経てば誰も知る人はいない。

そうなるはずでした。

しかし、彼女の妹が生前の姉の作品を見つけたことで運命が変わります。

 

もしも詩が捨てられていたら、

もしも遺品として保管され紛失していたら、

もしも編纂して発表しようと思わなければ、

エミリーディキンソンは誰にも知られることなく消えていったに違いありません。

 

200年近く前のアメリカでひっそり黙々と作られていた詩が、

現代の日本で読むことができる。

これってとんでもないことだと思います。

エミリーディキンソンの有名な希望の詩

希望は羽の生えた生き物

止まるところは魂のなか

言葉のない調べを歌い

決してやめることがない

 

歌声は大風でも聞こえてくる

こんなにも大勢の人をあたためる

この小さな鳥をいじけさせるなら

それはよほどひどい嵐にちがいない

 

凍てついた土地でも歌声が聞こえる

見知らぬ海でも聞いたことがある

でもどんなときであっても

パン屑ひとつねだったことがない

壺齋散人訳

希望を鳥に、そして心境を天候に喩えています。

個人的に印象深いのは、

希望は言葉を持たない、

見返りを求めない、

と言っていること。

 

「希望って何?」と聞かれても言葉で説明することは難しいです。

希望は各々の心理状態や境遇によって姿を変えるからです。

それ故に、希望はどんな人にとっても希望たりえるのです。

 

パン屑をねだらない(見返りを求めない)のは、希望が自分自身の中に宿るものだから。

誰かに与えられたり用意されるのではなく、内面で自分を鼓舞し続けるものが希望です。

 

エミリーディキンソンがどんな気持ちで生活していたか、はっきり知る術はありません。

しかしこの詩を読めば、ひどい嵐や凍てついた大地で必死に希望の調べを歌っていたことが分かります。

何がしたいかわからないまま人生が過ぎて、30代に突入する

2019年4月4日

エミリーディキンソンは成功したと言える?

エミリーディキンソンは詩人として成功したのか?

答えは…△ではないでしょうか。

芸術家としての評価は死後に高まっているので、

本人は最後まで、

 

百年を経たあとはだれもこの場所を知らない

そこに演じられた苦悶も平和のように静か

 

そんな風になると考えていたのではないかと思います。

しかし、そうはなりませんでした。

 

それでは、詩人として名声を得ること、有名になることは彼女が望んでいたことなのでしょうか。

それを紐解く手掛かりになる面白い詩があります。

自身の名声を証しできれば

他のすべての賞賛は

余計なもの

必要の限度を超えた香

 

自身の名声をもし欠くならば

たとえ私の名が他でどれほど高くても

それは名誉に価しない名誉

約に立たない王冠

新倉俊一 訳『ディキンスン詩集』1993.p51

これは難しい詩ですね。

ただの「名声」ではなく、前に「自身の」が入って強調されています。

この詩で言われている「自身の名声」とは何なのか?

詩人としての評価」か「自己満足」かでニュアンスが異なります。

 

彼女が詩人として評価されることを望んでいたのなら、

その評価さえ得られれば他はすべていらないと考えていた風に取れるし、

 

他者の評価はどうであれ自分が良いと思える作品を作りたいと考えていたなら、

彼女は生前から成功していたと言えるでしょう。

 

後者の考えだったとするなら、冒頭で紹介した詩の味わいはグッと深まります。

人としてのエミリーディキンソンはいつか忘れ去られ、誰も知らなくなる。

しかし、確かにそこに存在していた、苦悩が演じられていた痕跡が詩となって残っている。

現代の僕たちが触れているのは、

エミリーディキンソンという一人の詩人の痕跡。

そこには静かで寂しげな風が吹いています。

エミリーディキンソンのオススメの詩

エミリーディキンソンはなぜ隠遁者のような生活を送ったのか。

それは、思索を深めて内面を探るため、そして真理を探求するためだったと思います。

もっと分かりやすく言うなら自分らしくあるためです。

 

彼女の詩には様々な景色や自然が描かれていますが、

その大半は内面の比喩であり、言語化できていない自分の考えや人生観を記録しようとしているようにも見えます。

つまり、受け手に何かを伝えようとするより、

内面の観察を目的とした個人的な忘備録の印象を受けるのです。

魂のすばらしい瞬間は

独りでいるとき現れる

友達や地上の機会が

無限に遠退いてしまったとき

 

または魂みずからが

あまりにも高くのぼりすぎ

その全能の地位よりも低い

一切の評価を拒んだとき

 

このような現世の放棄は

この世のさまに劣らず美しい

だがほとんど

うぬぼれた態度を見せない

 

永遠の黙示は

愛された少数のひとたちだけに

魂の不滅の

巨大な内容をおしえてくれる

新倉俊一 訳『ディキンスン詩集』1993.p35

 

詩人はランプに火を点じるだけ

詩人自身はーーー消えてしまうーーー

彼らの刺激する芯ーーー

もし強い光が

 

太陽と同じように内在するならばーーー

おのおのの時代は一つのレンズとなる

円周を

大きくひろめながらーーー

新倉俊一 訳『ディキンスン詩集』1993.p20

 

苦痛は空白の要素をもっている

いつ始まったか

それは思い出すことができない

また苦しまない日が一日でもあったかどうかも

 

ただ現在だけで未来をもたない

その無限は

過去を含む それがまたーーー

苦痛の新しい長さを思わせる

新倉俊一 訳『ディキンスン詩集』1993.p49

 

人の成長は 自然の成長のように

内側で引力に引かれます

大気と太陽がそれを保証しますが

それはただ一人で動き出す

 

各自が困難な理想を

自分で達成しなければなりません

沈黙の生活という

孤独な勇気を通して

 

努力だけが条件です

自己に耐え

逆境に耐えること

それに完全な信念だけが

傍観することは

回りのひとたちの役割です

けれども自身の行為は

だれの支援も受けられません

新倉俊一 訳『ディキンスン詩集』1993.p74

2 件のコメント

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