最近なんとなく思ったことは、
「自分のことをなんとなくしか理解してないな」ということ。
なんとなく焦って、
なんとなく不安で、
なんとなく満たされなくて、
なんとなく合わない人ばかりいて、
なんとなくイライラして、
なんとなく未来が見えてて、
なんとなく辞めたくて、
なんとなく生きるのが辛くて、
なんとなく幸せになろうと考えています。
幸せになるために前提として必要なことは、
自分自身をよく知ることだと思います。
自分にとって何が幸せか、
自分が本当にやりたいことは何なのか。
それが分からずになんとなく幸せになろうと思っても、
自分で分からないんだから手に入れられるわけがないんですね。
目次
なんとなく焦る
なんとなく焦る時があります。
練習をしているのに一向に上手くなってる感じがしない時。
やっていることが合っているのか分からない時。
仕事にしろ勉強にしろ、
やることをやっていれば何も問題はないはずですが、
結果がすぐに出なかったり、そもそも結果が出るのかすら分からないと焦ってきます。
人は起こっていない先のことを考えると焦ってしまうのかもしれません。
なんとなく不安
休みの日にゴロゴロしていたり遊び回っていると、
なんとなく不安になることがあります。
頑張って勉強したり働いている人たちへの後ろめたさか、
そんな世間から外れて浮いてしまっている孤独感からか、
堕落して成長が止まってしまうことへの恐怖からか、
なんとなく不安になるのは、
やるべきことが分かっているのにやっていないからかもしれません。
なんとなく満たされない
人は成功体験を重ねることで自信を持てるようになり、満たされたと感じるそうです。
では、成功体験がない人はどうなってしまうのか。
僕に関して言えば、
自転車に乗れるようになったのは成功だし、
大学を卒業して就職できたのも成功です。
考え方次第で、大きな成功から小さな成功までたくさんあるはずですが、
満たされた感覚になることはそんなにありません。
それは本当に欲しいものを手にしていないからでしょうか。
これまでの成功は単なる偶然で、再現性がないと分かっているからでしょうか。
なんとなく合わない人
なんとなく合わない人がいます。
仲が悪いわけではないし、何かをされたわけでもない。
それでもなんだか合わないと感じる。
そんなときは、自分の直感を多少は信用してもいいかもしれません。
合わないと感じるのは勘違いの場合もあるので、極端に避ける必要はありませんが、
違和感を感じる人に不用意に近づきすぎたり、心を完全に開いたりはしない方がいいです。
思わぬ裏切りや攻撃を受けることがあるからです。
体感として、その直感は大きく外れていることはないように感じます。
なんとなくイライラする
他人にも社会にも何となくイライラします。
だからといって何かをするわけではないし、
それを表に出すこともありませんが、
いつもなんとなくイライラしています。
イライラしていることが精神衛生上よくないと分かっていても、
イライラしてばかりの自分が嫌なヤツだと思いながら、
なんとなく色んな人に(そして自分にも)イライラしています。
なんとなく未来が見える
社会がどうなるかとか、
これからの暮らしがどうなるかではなく、
自分の将来がなんとなく見えている感じに絶望していました。
小学校の頃は「学生時代が終われば会社で働くんだろうなー」と漠然と思っていて、
それが本当に憂鬱だったので、少しでも働くまでの時間を伸ばそうと思って大学に進学しました。
大学では就職が前提で話が進められて、みんな当たり前のように就職活動を始めます。
就職以外の進路を模索している人は本当にごく一部でした。
「そんなに嫌ならそっち側に行けばいいじゃん」という話ですが、
その道を進む行動力もアイデアもないことまで込みで、
自分は会社員になるしかないという未来が見えていたのが憂鬱でした。
結果的に、その会社員ですら満足にこなすことができなくて、
不可抗力で別の道を模索しなければいけなくなりました。
そして、現在はあの頃少数派だと思っていた道を歩いていますが、
自分が思っていた以上に、その道は凡人でもなんとか歩ける道でした。
もしも、なんとなく見えていた未来にハマれていたら、
指を加えて自由に歩く人たちを眺めるだけの人生だったかもしれません。
そういう意味では、会社員に馴染めなくてどこにも居場所がなかったことは幸運です。
本当にやりたいことと自分がどうなりたいのかを考えるキッカケになったからです。
器用じゃなくてよかった。
内向的な性格でよかった。
僕を一人ぼっちにさせようとした全てのものに感謝します。
なんとなく辞めたい
学校を辞めたい。
会社を辞めたい。
グループから外れたい。
クラブを抜けたい。
何か凄く苦しいことがあったわけではなくても、
突然、なんとなく全部ほっぽり出してやめてしまいたい。
どこか遠くへ旅に行きたいと思うことがあります。
馴れ合いや仲良しこよしがなんとなく苦手です。
仲が良いのはいいことで、誰かと過ごす楽しい時間も好きです。
しかし、なんとなく生理的に受け付けない場所やコミュニティもあります。
これこそが最も説明しづらい「なんとなく」かもしれません。
なんとなく生きるのが辛い
ここまでに書いた多くの「なんとなく」。
世の中をなんとなく生きづらいと感じるのは、
この「なんとなく」が積み重なっているからです。
この生きづらさを克服するためには、
自分の中にあるたくさんの「なんとなく」を克服する必要があります。
しかし、なんとなくが解消されるかどうかは些細な問題で、
重要なのは自分自身が成長できるかどうかです。
成長とは問題を解消する力のことだけではありません。
冒頭でも述べたように自分自身を知ること、
自分が何をしたくて、自分に何が足りていないのか、
そして物事を冷静に考えたり分析したり観察する、心理的な余裕を持つことも指します。
それができれば「なんとなく」という言葉で濁していた悩みを明確にすることができます。
同時に「なんとなく」への対策や受け入れなどが可能になります。
なんとなく幸せになりたい
おそらく全ての人の目標は「幸せになりたい」だと思います。
しかし、なんとなくで求める幸せが自分の幸せと合致することは稀です。
なんとなくで求める幸せは、
・世間が考える幸せ
・他人と比較した幸せ
・自分が想像できる範囲の幸せ
かもしれないからです。
3つ目に関しては補足が必要かと思うので説明します。
「自分が想像できる幸せなら、それが幸せではないのか?」
それはそうですが、それって自分の生活の範囲内の幸せでしかないんですね。
例えば、野球が好きな人がプロ野球の存在を知らなければ、
プロ野球選手になるという選択肢は絶対に出てきません。
これは「野球が好きな人の幸せ=プロ野球選手」って意味ではなくて、
野球が好きな人に「プロ野球選手」という選択肢が加わることの重要性を言ってます。
これを僕に当てはめるなら、
「学生時代が終わったら会社員として働く」という価値観があって、
その前提の中で自分の幸せを探していました。
会社員にならずに自由な生活をしている人がいる、
組織労働や職場の人間関係に疲れない生き方がある、
その価値観が突飛なものでなく自分の中で常識になっていれば、
迷うことなく会社員にならない選択肢を選んだでしょう。
凡俗な広告文句みたいな言い方になりますが、
多くの人は自分にとって本当の幸せかもしれない選択肢を知らずに損している可能性があります。
それは誰かが教えてくれるかもしれないし、教えてくれないかもしれません。
どこかで出会うかもしれないし、出会わないかもしれません。
最も簡単に一人でできることは読書です。
本を読むことによって、
人種、性別、時代、環境を超えて様々なパターンの選択肢(幸せ)を知ることができます。
まとめ
まとめると、
なんとなく不安でなんとなく満たされないのは、
今の自分になんとなく疑問があるからです。
「今の生活が本当に自分の幸せか?」
「自分の人生これで満足か?」
「他にもっと自分に向いてる道があるんじゃないか?」
そうなった時は、自分の幸せについてとことん考えてみましょう。
考えて外に出て人に会って、本をたくさん読みましょう。
その結果、青い鳥のように「結局今の生活に幸せがありました」でも全然いいんです。
青い鳥が強調しているのは「目の前にある幸せに気づきなさい」ではなく、
「幸せを幸せと判断できるように幸せを探しなさい」だと思います。
ややこしくなってきましたね笑
つまり、
「青い鳥が自宅にいたとしても、それに気づくためには色んな世界(価値観)を見る必要があるよ」ということです。
そしてチルチルとミチルにとっては偶然、自宅に幸せがあったというだけです。
「なんとなく」の答えを探すためには学び考え続けることが一番の近道です。
今ある価値観だけで幸せを探して、目先の娯楽や安心に飛びついても、
なんとなく不安で、なんとなく満たされない感じは残ったままです。
本当に今の生活が幸せかどうかを知るためにも、
なんとなく外に飛び出して、なんとなく色んなものを見聞きして、
僕達、なんとなく幸せになりましょう。
これ、宗教じゃないですよ。
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