「夏が好き」なんてわざわざ言うまでもないくらい当たり障りのない発言。
僕の心に焼き付いている夏の記憶は、
ぐにゃぐにゃに滲んで見えるアスファルト。
ガードレールをなでながら、車も人も来ない道を歩き続けた時の寂寥感。
世界で一番静かで孤独な気がした、いつかのどこかでの体験。
とりわけ好きな時間は夜。
夏の夜はめいっぱい夜更かしして、
痛いくらい眩しい朝日に目をこすりながら後悔しましょう!
夏の夜に懐かしい匂いがした
夏が近づいてくると夜の匂いで夏を感じます。
湿気混じりで感触のある空気、アスファルトの余熱と伸びた雑草が混じり合ったような独特の匂い。
名称はないから「夏の匂い」としか言えません。
夏の匂いは普段は忘れているけど、再入力されることで一気に記憶が呼び起こされます。
夏の夜はなぜこんなに懐かしいと感じるのでしょうか。
それは、普段は忘れていて意識していないところに、
何の告知もなくいきなりやってくるからでしょう。
毎年、繰り返し体験していることなのに懐かしい。
甲子園も海も24時間テレビも同じように毎年繰り返しているはずなのに、
夏の匂いだけ、いつも懐かしいと思うんです。
夏の夜に散歩に行った
この記事は隣町のマクドナルドで書いています。
夏休みに入っているからか、店内にはたくさんの人がいます。
どの人も心なしか楽しそうでリラックスしているように見えます。
マックに向かい自転車を漕いでいた時、どこか遠くで花火の音。
暗いせいか、視界に映る景色は昔と変わっていないように感じるので、
景色と匂いは昔のまま、ペダルを踏むと学生時代にタイムスリップしているように錯覚しました。
しかし、いくらシチュエーションを似せてみても、いつか経験した「あの時」と同じ感覚にはなりません。
過去の記憶と経験だけは、どうやっても追体験することができないのです。
夏の夜は寂しい、切ない
どこかで行われていた小さな神社の夏祭り。
自転車を止めて、少しだけ離れた場所から雰囲気を堪能。
見知らぬ神社の初めて見る夏祭りなのに、なぜか懐かしくて寂しいような切ないような気分になっていた自分に苦笑しました。
ノスタルジーを呼び起こす感性の雑な作りに感謝です。
賑やかな夏祭りは好きですが、
夏祭り然り、文化祭然り、
そんな時だからこそ、静かな場所を探して遠くで聞こえる賑やかな音に耳を澄ますのが僕には合っています。
なぜ夏の夜に切なく、寂しくなってしまうのでしょうか。
それは夏の夜にどこかに飛んでいってしまいそうなくらいの非日常感と、
そんな時間がずっとは続かないと分かっている虚しさを同時に味わっているからだと思います。
夏の夜の雰囲気は特別
夏にワクワクして夏に寂しくなってしまうことが、
少年時代の記憶に起因していることは疑いようがありません。
1ヶ月以上続く休み。
ダラダラしても遊んでいても何も問題ない。
この時間がずっと続くように錯覚する。
夏だけは現実を見ないで済む。
何かが起こりそうな気がする。
そんな感じです。
夏の夜はさらに特別感が増します。
ただでさえ現実味がなく自由気ままに過ごせる夏に、
夜の静けさが加わることで非現実性はさらに加速するのです。
夏の夜の楽しみ方
夏の夜は確変状態です。
メルヘンチックでロマンチックな時間帯です。
なぜなら、やることなすこと全てが特別な思い出になってしまうから。
適当な行動の頭に「夏の夜に」をつけてみましょう。
不思議なことに、どんなにしょうもないことでもノスタルジックで特別な思い出のようになってしまいます。
だから夏の夜の楽しみ方なんて簡単です。
財布とスマホだけ持って歩いてコンビニに行くだけでいいんです。
・夏の夜にコンビニにアイスを買いに行った。
・夏の夜に公園を散歩した。
・夏の夜に銭湯に行った。
・夏の夜に徹夜でゲームをした。
・夏の夜にアニメを一気見した。
・夏の夜に川沿いを歩いた。
・夏の夜にブックオフで立ち読みした。
・夏の夜に学校に忍び込んだ。
・夏の夜に星を見た。
どうですか?
やってることは何でもないのに、まるで秘密の冒険をしているかのような特別感があります。
実際、僕の記憶に残っているのは仰々しいイベントや出来事よりも、
何気なく繰り返していた普通の日常ばかりです。
不思議なことに、それをしている時は特別面白いと感じることはないのに、
何年かして急に「あの夏の夜に歩いてコンビニに向かった時の空気をもう一度感じたい」という衝動に駆られるようになります。
欲求のままに動いてみると、楽しくはあるけど厳密に言えばあの時の感覚ではない気がします。
そうして不発に終わったように感じた夏の夜の記憶ですら、何年かすると特別な記憶に昇華されています。
それは単なる思い出の美化なのでしょうか。
美化された思い出だとしても、お手軽に再現できるからこの際何でもいいです。
とりあえず分かるのは、夏の夜の匂いに誘われて隣町のマックまで来た今日のことですら、
何年かして振り返った時、水面に反射する月明かりのようにキラキラと輝く記憶になっていると予想できることです。
今日の懐かしさとワクワク感を追いかけて、また夏の夜に飛び込むのが今から楽しみです。
夏の夜が好き
最近のこと。
(数少ない)友達と居酒屋に行って、
その後にかつて通っていた高校に行きました。
アルソック的な警報装置の作動を心配しましたが、
そうなったらそうなったで謝ろうと覚悟して歩を進めます。
2年の夏休み前に辞めたテニス部のコート、
やたらと広くて砂がつきやすいグラウンド、
体育館、プール、部室棟、駐輪場、
そして校舎周り、離れにある図書室。
懐かしいをこれでもかってくらい詰め込んだナイトツアーでしたが、
回っている時は驚くほど何も感じませんでした。
その後は駅前のミニストップでハロハロを食べながら雑談。
会話をしながら、今夜の楽しさはきっと時間差で来るだろうと考えていました。
同時に思い出していたのは、高校3年の夏休みのとある日の夜のこと。
友達と近所の山に登って星空を眺めながら雑談。
当時流行っていた初音ミクの「メルト」をガラケーで流したりして、
空が白んでくるまで寝転がっていました。
当時は楽しいというよりも、
受験勉強もせずに何をやってるんだろう、
先のことがちっとも見えなくて不安だ、
という、うだつの上がらない毎日にイライラしたり不安になっている気持ちの方が強かったです。
あの時星を見ていたメンバーは今ではすっかり疎遠になりました。
僕は夏が来ると今も一人で星空を眺めています。
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