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25歳で人生がつまらない、不安、絶望状態になる現象に向き合う

かわいそうになあ。

気づいちゃったんだよなあ、誰も生き急げなんて言ってくれないことに。

(中略)

何も知らずに生きていけたらこんなに楽なことはないのに。

日本橋ヨヲコ『G戦場ヘブンズドア』小学館、2003年

25歳。

社会人生活に慣れてくると同時に、変化が起こりやすい時期でもあります。

新卒で入った会社を辞める人が多い時期。

結婚する人が増える時期。

太ったり、禿げたり、老けたりと身体的に変化する人が出てくる時期。

 

なんとなく先の人生が見えてるような、

自分の限界が分かってきたような、

何とも言えない焦りがやんわりと浸透してくる絶望の時期。

今回はそんな気持ちに向き合う話です。

人生がつまらない25歳

学生時代が人生の夏休みだとするなら、

25歳からは肌寒くなる秋へと突入します。

「働き出してもこれまで通り遊ぼうぜ」

そんな風に言っていた友達とは、少しずつ会う頻度が減っていき、

結婚や仕事の忙しさが重なればさらに疎遠となって、会うのはお盆や年末年始などの節目のみ。

 

朝はうるさいアラームに起こされて、浮かない顔したサラリーマンに交じって通勤。

さして面白くもない仕事を一日こなし、帰宅して夕食とシャワーを終えたら後は寝るだけ。

明日も早いから夜更かしは厳禁、オフの時間も含めてあらゆる場面で仕事を意識したディフェンスの立ち回りを強いられる。

 

人生つまらない…何のために生きてるんだっけ…?

 

25歳を境に突然仕事を辞めてしまったり、人が変わったように無気力になったり、

「人生つまらないなー」と思うことが一気に増える。

真面目でも、パリピでも、陰キャでも、稼いでいても、結婚していても、

楽しそうに生きている人と、そうでない人がハッキリ分かれてくるのが25歳という時期なのです。

月曜日に仕事に行きたくないから山に逃げた話

2019年7月7日

人生が不安な25歳

25歳になるとリアリティを持って迫ってくる不安があります。

それは、

・結婚

・お金

・健康

です。

ベタですがこれまではどこか他人事で、まだ考える必要はないだろうと思っていた問題。

一つずつ詳しく見ていきましょう。

 

■結婚について

晩婚化が進み、結婚願望がない人が増えているとはいえ、

それでもちらほらと結婚する人が出てくるのが25歳くらいです。

それまで意識していなかった人でも、友達の結婚式をキッカケにスイッチが入ったり、

周りに遊ぶ友達がいなくなってきたことで焦りだす人もいます。

対策

男性は焦る必要はまったくありません。

むしろ早い結婚は金銭的に苦しくなるし破局率も高いのでリスクが多いです。

周りの結婚や親のプレッシャーで不安を煽られても、気にせずにいきましょう。

■お金について

実家暮らしでなければ、意外とお金が貯まらないことに不安になります。

この収入で結婚生活とか無理ゲー、趣味に回せるお金がほとんどない、周りの人がどうやってやり繰りしているのか不思議、

飲みの席ではそんな愚痴が増えてきます。

25歳の時点で稼げていなくても当たり前、長く勤めれば年収も上がるだろうと思っても、

上司ですらそこまで稼げていないことに気づいて不安になるパターンもあります。

対策

お金は切実な問題。

終身雇用や正社員安泰神話は崩壊しているので、今の会社を離れても生きていけるようなスキルを身に着けておいた方がいいです。

例えば、会社に勤めながら行える副業

副業は色々ありますが、僕がおすすめするのはブログです。

■健康について

25歳になると人によっては身体に変化が起こります。

学生時代よりも太りやすくなったり油物がきつくなったり、

徹夜ができなくなったり健康診断で引っかかったり。

中には薄毛に悩まされる人もいます。

対策

健康はひとつの対策で改善されるものではありません。

一般的に言われるのは食事、睡眠、運動の改善です。

甘いお菓子やジュースを控えたり、夜更かしや休日の昼夜逆転生活を改める、

運動はがっつり行えなくても、ジムや自宅での簡単な自重トレーニングで十分。

個人的には散歩をオススメしています。

夜の散歩は楽しい【田舎、ひとり、画像あり】

2019年8月12日

人生に絶望する25歳

結婚、お金、健康。

ここまで挙げてきた25歳の不安要素は確かに大切なことです。

しかし、それ以上に何かこう、ぼんやりとした不安のような、

姿かたちははっきりしないけど、確かに存在している人生への絶望感のようなものがありませんか。

 

それは、青春が終わってしまったかのような感傷。

それは、定年まで続く平坦な道への遺憾。

それは、もう何者にもなれそうにないことへの諦念。

何か本当にやりたいことがあったような、真っ白な灰になるまで完全燃焼していないような、

そこには憂鬱な絶望感が渦巻いているのです。

「はかない青春」

疲れた夏が頭を垂れて、
湖に映った自分の色あせた姿を見る。
私は疲れ、ほこりにまみれて歩く。
並木路の影の中を。

ポプラの間をおどおどした風が吹く。
私の後ろの空は赤い。
私の前には、夕べの不安と、
ーーたそがれとーー死とが。

私は疲れ、ほこりにまみれて歩く。
私の後ろには、青春がためらいがちに立ちどまり、
美しい頭をかしげ、
これから先はもう私といっしょに行こうとしない。

高橋健二 訳『ヘッセ詩集』新潮文庫、1950年、21

ドイツの作家であるヘルマン・ヘッセの詩。

青春時代の終わりを感じさせる切ないテイストのこの詩は、ヘッセが20代前半くらいの時に書いたそうです。

今から100年以上前のドイツで20代前半の若者が青春の終わりを感じていた。

僕自身、学生時代に似たような絶望感を感じていたので、この詩を読んだ時に一発でやられてしまいました。

 

人生に絶望した時に考えたいのは、自分がどう生きたいのかということ。

言ってしまえば、お金と健康なんて生きるうえでの前提条件でしかないので人生の目標とは違います。

結婚も万人に当てはまる幸福ではないので、それが全てだとはとても言えません。

お金を稼いで何をしたいのか?

健康になってどうしたいのか?

絶望感を紛らわすために酒を飲んだり時間つぶしをしたり、今の生活の中での妥協点を探るのはもったいないことです。

考えてみても何も浮かばないのであれば、まずは今の生活を定年まで続けて幸せかどうかを考えてみてはどうでしょうか。

25歳。

人生に絶望するのに早いに越したことはないけど、人生を諦めてしまうには早すぎると思います。

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