「空気読め」って意地悪な言葉だと思います。
とりあえず言ったもん勝ちなところがあって、
言われた方が輪を乱すおかしい人みたいな感じになります。
何より「空気読め」と言うことで、
「自分は空気を読める側の人間だ」
という周囲へのアピールとマウントになってるのが鼻につきます。
本当のことより場の雰囲気が大事なのか!?
本音のぶつかり合いより、表面的な仲良しごっこでいいのかよ!
今回は空気を読むことについての話になります。
「空気読め」が嫌い。しかし…
冒頭で感情的になりましたが、
実際、空気を読めないと困ることが多いのは事実です。
そもそも空気を読めとはどういうことか?
それは、自分がいるグループや場所に合った行為言動を心掛けましょうって意味です。
いくつか具体的なシーンを挙げてみます。
・友達数人で食事に行くことになった。
満場一致で焼肉屋に決定したかに思えたが、一人だけ寿司を食べたいと言い出した。
・満員電車に老人が入ってきた。
席を立った人がいるのを見て、我先にその席に座った若者。
・浮気がバレて昨晩は修羅場だったらしい上司。
皆気を使って何も聞かないでいるのに「昨日どうなったんですか?」と野次馬根性を出す人。
・散髪に失敗しておかしな髪型になった人。
「何か変な髪型になりましたね。自分で切ったんですか?」と聞く人。
・誰もが楽しみにしていた3連休。
大型台風が直撃して3日間大雨だった(この場合「台風空気読め」となります)。
空気読めと言われた真意
↑でどこでもありそうなシチュエーションを考えてみましたが、
この中には「これは別にいいだろ」ってものと、
「これは本当に空気を読んだ方がいいね」ってものがあります。
本当のことだからと言って相手を困らせたり傷つけるような行為は、
空気を読めないというレベルでなく、アスペルガー認定される恐れすらあります。
逆に飲み会やパーティの席で無茶振りや一気飲みを強要されて、
それが出来ないと「空気読めよ」と言ってくるのは単なるパワハラです。
相手が困っていたり嫌がっていることを分かった上で、
「空気読めよ」の一言で、なぜか相手が悪いかのように誘導する卑劣な行為です。
空気読めと言う人がうざい
このように「空気読め」という言葉には、
・自分勝手さがもたらす迷惑を咎める目的
・いじめやパワハラを正当化しようとする目的
この2種類があります。
便利ですよね。
「空気読め」と言えば相手の非常識や、周囲に迷惑を掛けていることを咎めるかのような構図を作れるのです。
「前者の場合は空気を読めない人が悪い」と言いたいところですが、
本当に空気を読めないことで皆に迷惑が掛かっているのであれば、
後からこっそりでもいいので、その行為言動の何がいけなかったのか、
どうすればいいのかをアドバイスしたり、そのヒントを与えるくらいするのが優しさだと思います。
「空気読め」の一言でぶった斬るのは優しさでも何でもなく、
相手を悪者にして恥をかかせて、自分は空気を読める側で相手を諭してあげられる立場だというマウンティングをしているだけに見えるのです(少なくとも僕には)。
「空気読め」という強要の言葉
冒頭で「空気読めは言ったもん勝ちの言葉だ」と書いたのは、
その言葉が無理やり正義悪の構図を作り出すばかりか、
言われた側が”空気を読んで”相手の要求を飲んだり反省しなければいけなくなる、暗黙の強要があるからです。
世の中から「空気読め」と言う人がいなくなればいいと思うのですが、それは難しい話です。
だったら、僕達は「空気を読め」と言われることにビクビクし続けなければいけないのでしょうか?
それとも反発して「うるせー」と言えばいいのでしょうか?
極端にどちらに傾くのも正解とは言えません。
「空気読め」が嫌い、のまとめ
「空気を読め」と言われた時に大切にしたいのは、自分で考えて判断を下すことだと思います。
「空気読め」と言われて頭ごなしに反発するだけではいけないし、泣き寝入りするのも違います。
しっかり考えた上で自分は間違っていないと思ったのなら徹底抗戦した方がいいし、
自分が間違っていると思ったのなら謝って反省すればいいだけの話です。
自分が正しいと思っても、周囲が間違ってると言うのならとことん議論すればいいと思います。
議論の余地無しならスルーでいいし、決着がつかなくても本音をぶつけ合うことで見えてくるものもあります。
世の中にはまったく読む必要のない空気と、
読んだ方がいい空気があります。
その境界があやふやになって思考停止してしまうのはもったいないと思いますって話でした。
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