わたしたちのこの手に包まれている一つの希望とは何か。
自分自身を今日いくらかでも変えることだ。
昨日までよりも善く変えていくことだ。
本当にそのことを実践する人々にこそ、世界の幸福はかかっている。
ヘルマン・ヘッセ
目次
人生こんなもんかって10代の頃に思ってた
多くの人がどう感じて生きていたかは分かりませんが、
僕は10代の頃に人生への諦念のようなものを感じていました。
授業は退屈で受験は不安。
教室には暗黙に作られたカースト制度で声の大きい奴が上の方でいばりくさっている。
陰でコソコソ笑われ、時に直接的に攻撃されて気まずそうに隅っこに追いやられる人もいれば、
そんな社会でなんとか自分のポジションを上げようと必死になっている人もいる。
そんな狭い世界だけ見て何言ってんだよって話かもしれませんが、
僕はそこにありありと社会の闇を見ていました。
教室というコミュニティを社会の縮図として見ていたのです。
大学に入って、社会人になって、どこに行ってもやはり狭い教室のルールは社会に蔓延していました。
いい人もいれば嫌な人もいて、なんとなくの繰り返しであっと言う間に日々が過ぎて行く。
「人生ってこんなもんか…」
自分を含め、大半の人が死んだ顔で満員電車に詰め込まれて同じような毎日を過ごしています。
学校、大学、会社に通うという、普通、アベレージ、平凡。
そんな狭いコミュニティの中で上下関係を気にしたり、優劣をつけて安心しようとする。
日々の大半の時間がルーティン化されてその生活が定年まで続く。
これが幸せ?
これだけ人がいるのに、そのほとんどが同じような人生を歩んでいてそれが幸せなら、
人生ってのはあまりにも虚しいじゃないですか。
「人生こんなもんか」という自分への諦め
自分はもっとできるはず、いつかはひとかどの人物になっているはず、
多くの人がそう思いながら何者にもならず淡々と歳だけを重ねていきます。
「今日からうんと勉強しよう」
「これからは本気で頑張ろう」
そんな決意も次の日には消え失せて今まで通りだけが繰り返されていきます。
そんな自分にうんざりしながらも、実際自分はこんなもんだよなと思っているから本気では悩みません。
生命の危険があるわけではないから現状維持で満足しているのです。
同時にどこか楽観的にこんなことも考えています。
「まだまだ時間はあるからいつか頑張ろう」と。
今がどんなにうだつが上がらなくても、いつか巻き返すと思うことで精神の安寧が得られます。
実際にはうっすらと自分の能力や才能に気づきながら、「本気でやってないからまだ分からない」と言うことで体裁を守ります。
その奥底では浅ましい保身を自覚している自分がいて、
「人生ってこんなもん…っていうか自分ってこんなもんかぁ…」
と溜息をついているのです。
人生こんなもんって思うには学びが足りな過ぎる
「人生こんなもんか」
そんな諦念を抱けるほど主体的に生きてきたでしょうか?
能動的に人生を楽しもうとしたでしょうか?
10代の時分で人生に虚しさを感じる一方で、
充実感に満ちた楽しい人生を送っている人も数多くいます。
その差はどこにあるのでしょうか?
そんなことを考えた時、
自分には圧倒的に「学び」が足りていないことに気がつきました。
「人生こんなもんか」と思うのは当たり前のことだと思います。
同じ日々を繰り返していれば目新しいことは減っていくし、
始めての体験が減っていけば世界は色褪せていきます。
どんな人でも幼子のように新鮮な気持ちで世界を見続けることはできないのです。
楽しいことが向こうから勝手にやってくることはなくなり、
教室でどう過ごすかも、社会でどんな仕事につくのかも、誰と仲良くするのかも、どう生きるのかも、
全て自分で選択して決断しなければいけません。
幼子のように受動的に待っていれば毎日が淡々と過ぎて行くに決まっているのです。
だからそんな人生は退屈だし虚しいし、こんなもんかと思うのは当たり前のことです。
義務感が消えたらいつの間にか勉強しなくなっていた
社会人になると人は驚くほど勉強をしなくなります。
でもそんなのは当たり前です。
・学校や大学とは違って勉強する必要がないから
・社会人には勉強している時間がないから
こういった理由があるからです。
しかし、そこに大きな勘違いがあります。
勉強と言っても数学を続けたり、歴史上の事件の年号を暗記しろということではありません。
自分が今まで知らなかった価値観、分からなかった考え方、まったく新しい物の見方などを学ぶことも勉強です。
今まで体験したことのないことを探す、見たことない景色を見に行く、専門分野を特化させることも勉強です。
社会人として普通に生活できているのに、なぜそんなことをする必要があるのか?
それは「人生ってこんなもんか」と感じる虚しさと戦うためです。
人生をより豊かにして楽しく生きるために勉強する必要があるのです。
勉強して、学び、成長することで世界の見え方は変わってきます。
大人になってからも勉強できることが凄いのは、
頭が良いとか知識があるって話ではなく、知らないことや初めて見るものに積極的に挑戦できる姿勢が凄いという意味です。
知らないことを学ぶのは大変だし抵抗もあります。
だからといって勉強を避けることは=変化を嫌うということです。
変化を嫌うということは、たとえ今がどんな状態であろうともその生活を繰り返すということです(現状維持バイアス)。
同じ生活をし続けるということは、退屈で不安で不満で「人生こんなもんか」と思う人生を送るということです。
「人生こんなもんか」って話のまとめ
・人生を受動的に漫然と送るのは退屈で虚しい
・同じような日々の繰り返しで「人生こんなもん」と思うのは、あまりにも見識が狭いので早計
・勉強して学び成長することで色んな考え方や選択肢を知ることができる
・社会人になっても勉強を続けた方がいい
勉強って言っても具体的に何をすればいいのか分からない。
そんな時はとりあえず本を読めばいいと思います。
それはできれば娯楽やエンターテイメント小説ではない方がいいです。
勉強しろ、学べ、知らないことに積極的に挑戦しろ、変化を恐れるな。
これは全部、自分に言い聞かせてます。
人生への不安や虚無感に目を背け、目先の快楽に甘んじて同じような日々を繰り返すのは、
あまりにも虚しくてやり切れないと感じたからです。
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