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ゴッホを描き続ける男から学ぶ「情熱を育てる」ということ

ゴッホの複製画を描いている一人の中国人を追ったドキュメンタリー映画を見ました。

最初は「凄いなぁ、大変なんだなぁ」くらいの気持ちで見ていたのですが、途中からなぜだか泣けてきて…。

映画を見終わる頃には考えがまとまらぬままに「とにかく記事を書こう」と思い立ちました。

※ネタバレ注意※

情熱は伝染する

生活のためにゴッホの複製画を20年以上描き続けてきた。

そんな男が長年の夢だった本物のゴッホの絵を見て衝撃を受け、オリジナルの絵を描くことを決意する。

そこまでのプロセスが一つの作品であり物語であり、本当の意味で彼がスタートラインに立ったところでドキュメンタリーは終わっています。

 

情熱というものは人に教わったり、自分で作ろうと思って作れるものではなく、

自然と湧き上がらなければそれまでという曖昧さがあります。

それゆえに情熱を持てることがなくて不安になったり、何をしても満たされない状態に陥ったりもしますが、

優れた作品や創作物に出会った時、いともたやすく心に火が灯ります。

 

それは身近にいる人であったり、有名人や芸術家だったりすることもあれば、

ずっと昔に書かれた本や音楽だったりすることもあります。

そして、それらに共通するのは人でも物でもそこに「情熱」があるということです。

情熱は人から人に伝播するのです。

情熱を継続させる

最近はモチベーションも高く、情熱があると思っていた僕ですが、

この映画を見たことで情熱の炎が中火くらいになってたことに気づかされました。

永遠に枯れない情熱ってあるのか?」と甲本ヒロトばりに考えてみると、

今のところ僕の中での情熱はホットプレートのように強火の時もあれば弱火の時もあって、

そのダイヤルは勝手に動いてしまうくらい緩々なものだと分かりました。

 

これが10代の頃なら「そんなの情熱じゃない!情熱ならずっと消えないはずだ!」なんて言うかもしれませんが、

消えてないけど弱くなる時もあって、薪をくべるのか、水をあげるのか、

その比喩は薔薇でも炎でも何でもいいけど、情熱は自分で調節してないといつの間にか消えてしまうかもって危機感があるものだと、今なら言えます。

 

特に自分では燃え盛っているつもりでも、別の誰かや何かを見てその甘さに気づかされたり、

触発されて「まだまだ、もっと行ける!」とさらに熱が入ったりなど、

俗にいうインプットという形で、定期的に色んなものを幅広く見聞きした方がいいなと再確認させられたのが今回の映画です。

(特に環境に恵まれていない人、孤独な状態で取り組んでいる人にはなおさら必要だと思います)

 

「インプット過多で自分が一番情熱を捧げたいところに時間を使えなくなるかも…」

と不安になることもありましたが、おこがましい悩みでした。

情熱あるなら多少遠回りになってもインプットもアウトプットもどちらもやれ、という話です。

なぜなら今日は記事を書かないつもりだったのに、こうして1記事書くことができたからです。

情熱を育てる印象的なシーン

ここからはオマケと言いますか、作中で印象的だったシーンやセリフのメモです。

映画を見ていない人は、先に映画を見ることをオススメします。

 

写実画をやりたいという女性が出てきて、

「今の時代に写実画をやっても…ゴッホのような結末になってしまうのでは?」と悩んでいた。

その時に主人公の男は「自分の考えで進めばいい、間違ってない。今は時代が違うから結末だって違う!思うままに描こう!」とアドバイスをする。

おそらくこの言葉は自分自身にも言い聞かせていたのでしょう。

力強く言い切る姿がカッコよかったです。

 

食事も忘れて楽しそうにオリジナルの風景画を描いている男。

通りかかった人に「写真を撮れば?」と聞かれるけど「いいんだ」と答えて微笑む。

タイミング良すぎて「サクラか?」と邪推しましたが無粋でした。

誰に何を言われようとも自分のやりたいようにやる、それだけなのです。

 

絵に色を重ねるように少しずつ歩んできた」とこれまでを振り返る奥さん。

子育てをしながら眠い目をこすりながら絵を描き続ける日々。

実際の現場や相当に使い込まれた画材道具を見ているだけに、そのセリフには説得力と重みがありました。

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