大晦日。
どこも混雑して街全体がせわしない感じだったので、
僕はというと部屋に引き篭っていました。
しかし、ずっと部屋にいると息がつまってしまいます。
気分転換のために外に出て、人のいないところを探しているうちに近所の丘に着いていました。
孤独主義という甘え
人が、人が少ない場所を探してます。 pic.twitter.com/04yAvZW0Rn
— 渡辺(ブログやってます) (@QMUbsDOb8SJfMLI) December 31, 2019
年末年始の雰囲気って昔は好きだったけど、今はかしこまったようなせかせかしてる感じが少し苦手です。
なんてことを言うと、「俺も大人になったよ」みたいなうっすい悟りを開いて粋がってる寒いおじさんみたいになるので弁解させてもらうと、
昔から人混みは苦手で、冬休みの間は修行僧のように連日、日暮れまで山の中を歩き通すような生活をしていました。
非日常っぽい雰囲気の時に、静かな場所に行きたがるのは学生時代から変わっていません。
体育祭の時は自分の競技以外では部室で『稲中卓球部』を読んで、
文化祭の準備は人のいない別棟から皆が準備している姿を眺め、
全員集合すれば腕を組んで壁や柱に寄り掛かってる系のキャラ。
年末年始の独特の非日常感が好きでも苦手でも、どのみち僕は侘しい場所へと足を運んでしまう質なのです。
坂道を走る姉妹を見かけた
さて、本題に入りまして、
ひと気のない場所を探して坂道を登っている時、
ジャージ姿でランニングしている姉妹を見かけました。
息も切らさずに凄いスピードで淡々と坂を駆け上がっていく姉、年は中学生くらい。
それから遅れること数十秒、息絶え絶えになりながら懸命に走る小学生くらいの妹。
妹は明らかにオーバーペースで限界が近そうな状態です。
坂道ダッシュをしたことがある人なら分かる思いますが、この状態って滅茶苦茶苦しいんですよね。
相当に強い意志が無ければ途中で止まってしまいます。
年端もいかぬ小学生を支えていたのが強い意志だったかと言うとそんなことはなく、
十中八九、前方を走る姉への意識だけだったと思います。
姉に付いていきたい、褒められたい、驚かせたい、
動機はおそらくそんなところでしょう。
僕はここ数年、より孤独にPCに向かう生活をしていたので、
他者の存在を意識することで限界を超えている少女の姿に結構な衝撃を受けました。
一人だけで作業していると、どうしても甘えが生じてきます。
その甘えの恐ろしいところは、自分では甘えていないと思ってしまうことだと思います。
その甘えに気づかせてくれるのが他者という存在で、他者は環境と言い換えることもできます。
「孟母三遷の教え」ということわざがあるくらい、環境はその人にとっての当たり前になるので、
広く他者を見て自分の環境がどれくらいの水準にあるかを知ることは非常に大切です。
例えば、
地方の普通校に通う生徒は本気で東大を目指している進学校の生活を見ればその違いに愕然とするだろうし、
スポーツで言えば本気で頂点を狙っている強豪校の練習に混ざればその意識の高さに驚くはずです。
なぜ僕がそんなことが言えるかと言うと、ブログに取り組み始めた当初セミナーに参加した時、
認識の甘さや覚悟の違いを思い知った経験があったからです。
居心地のいい場所で簡単にできることだけしていると、成長は止まってしまいます。
坂道をダッシュしていた少女も、前を走る姉がいなければ限界を超えて走ることを自分に課さなかったと思います。
ブログを始めた時に外を見て味わった劣等感と恐怖感。
結果を出す人はこれくらい頑張っているんだと知った時の、忘れないつもりで忘れてた当初の気持ちを思い出すことができてよかったです。
まとめ
・他者を意識すれば頑張ることができる
・色んな環境を知ることは大切
・意識が変われば行動も変わる
チープでありきたりな…安っぽいまとめになりました。
しかし、孤独に作業していると自分がどの辺にいるのか、速いのか遅いのか、頑張ってるのか怠けているのかが判断しにくいのでこの意識は大切です。
適度に下山してぬるい環境になっていないかをチェックしていこうと思いました。
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