謎のワカメのようなものが落ちているぬかるんだ地面を歩く。
遠くに見える川はほとんど枯れていて部分的に残された淀みが茶色く濁っている。
空は鉛色、どんよりジメジメした空気が体にまとわりつく。
ぼんやりと覚えている夢。
この不快感は明らかに現実での不安が反映されています。
昔の僕はもう少し楽観的だったような気がしますが、最近では物事が上手く行ってても行ってなくても不安になってる時間が多いような気がします。
寝起き直後にページを開くのが日課になったゲーテ名言集。
数日前に読んでからずっと印象に残っているのが「人間は努力する限り、迷うものだ」という言葉。
これは言われてハッとするよりは、そうなんだよと共感するタイプの言葉でした。
悩み苦しんでいるのは努力しているからだと励まされているようで、
その実は「どこまで行ってもずっと苦しい」という厳しさを突きつけられてるようでもあり、
今の僕にぴったりだと思ったからです。
記事が書けない現象は定期的に訪れます
なぜこんな物々しい書き出しになったかと言うと、
記事を書こうと思ってPCを開いたけど、まったく何も思い浮かばなくて何時間も苦しんでいたからです。
数行打ち込んではデリート。
スマホでネタを探しているうちにウトウト。
昼飯を食べてお茶を飲んで、また数行書いてはデリート。
気がつけば夕方になり今までいったい何をしていたんだろうと、
凄くもったいないような、悔しくなるような虚しい気持ちになってしまったからなのでした。
実は最近、スタンディングタイプの新しい机を買ったんです。
新しい年で真っ白な机、気持ち新たにこれで作業も捗ると思った矢先、
頭の中まで真っ白になってしまったようなのです。
こんな時は散歩したり、映画を見たり、漫画を読んだり、
一見作業とは関係ないようなことをするとアイデアが思い浮かんだりするのですが、今回はミスりました。
そんな遠回りせずとも適当にタイプしてれば記事が出来上がるだろうと、
自分のポテンシャルを過信していたのです。
スランプ中は苦しみながら続けるしかない
気づいたところで後の祭り、もう1日は半分終わり16時になろうとしています。
午前中のうちにびしっと記事を書いて、午後から山に散歩でも行こうかなんて考えていたのが愚かしいです。
どうせ書けなくて何もしてなかったなら最初から山に行っとけばよかったものを。
「何も思い浮かばない、書けない」
こういう時期は定期的に襲ってきて、こういうミスも何度もしているので対処法は分かります。
苦しむこと、それだけです。
書けなくても書こうとすること。
書けなくても考え続けること。
気づけばぼーっとしていたり、手元にあった電池切れのスイッチコントローラーで遊んでいたりするけど、
常にネタを考えるという意識を持っていることは非常に大切です。
何日か苦しんでいると、ある日何事もなかったかのように書けるようになるし、
苦しんだ後よりも心なしか成長しているような感じさえあります。
ただ、これではあまりに偶然性を期待しすぎているというか、
ただの精神論ではないかという気持ちもあるのでもう少し踏み込んだ情報を。
苦しむ、考えるとは具体的にどんな感じなのかということについて。
この日の僕が行ったのは「目の前にある物をただ観察すること」でした。
この記事も真っ白なスタンディングデスクを観察していたのがキッカケでした。
作業を捗らせるために買った真っ白な机。
机に向かうも何もできずにネガティブな気持ちで机を眺めている自分。
せっかく用意したのに…となんだか自分が可愛そうに思えてきてしまって、
困っている自分を助けてあげたくなってきました。
ここで記事のターゲットが「ブログでスランプに陥ってる人」に決まりました。
そんな人に僕ができる具体的なアドバイスは苦しむことくらい。
ただ、そういう時は考えれば考えるほど何も浮かばなくなるので、
「目の前にある物を観察すること」を提案。
これは物でなくニュースでもなんでもOK。
無理に上手いことを考えようとしたり、何かに結びつけようと意識しなくても、
まずは事実を確認することが大切です。
こんな風に、ただ新しく買った机を観察していたところから発展させてなんとか記事をでっち上げました。
このやり方に再現性はあるのか?
分かりません。
ただ、記事が書けなくてスランプ状態に陥っている時は、
どうしてもネタやアイデアを探そうみたいな思考になってしまって、
追いかければ追いかけるほど迷路に迷い込むような感覚になります。
そんな時は、目の前にある物を観察してそれについて考えてみましょう。
それは1枚の写真かもしれないし、1冊の本かもしれないし、買ったばかりの机かもしれません。
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