最近聞いたラジオのこと(1月11日?放送のオールナイトニッポン)。
オードリーの若林さんは初めて週刊少年ジャンプを読んだ時、
単行本よりも先の話が読めることに大変な衝撃とワクワク感を覚えたそうです。
しかし、年を重ねるとそういった感動体験が無くなっていくから寂しいね、と話していたのですが、
今回はそれに関連して、「初めて知った時の衝撃」について考えてみました。
人生観はふじっ子でも変わる
若林さんがジャンプを知った話はノスタルジックで説得力もあって、なんかいいですよね。
そこで僕も、自分にとっての衝撃をあれこれ考えてみたのですが…
これがなかなか見つからないのです。
初めてとびっこをご飯にかけて食べた時に、「世の中にこんなにうまいものがあったのか」と感動したこと。
あとは、学校の家庭科の授業でおにぎりを作った時、友達が持ってきたふじっ子に同様の感動を覚えたこと…。
いやいや、こんなん、じゃなくて!!
もっとかっこいい初期衝動みたいなエピソードが欲しいんですよ!
ラジオから流れてきたビートルズになぜか涙が溢れてきてロックに目覚めましたとか、
TV画面に映っていたボクシングのスポットライトに照らされたリングに衝撃を受けて、ボクシングを始めましたっみたいな!
しかし、そんなにドラマチックな衝撃を受けたことのある人って、僕を含めそんなに多くはないんじゃないかと思いました。
それに、残念ながら初めての衝撃って年を重ねるとなかなか出会えなくなっていくものです。
それは初めて見聞きし体験することが少なくなっていくこともあるけど、
今までの経験や知識情報から、初めてのことでもある程度の予想が立てられてしまうからではないかと思いました。
僕は28歳で初めてスノボをやり、初めてゲレンデを見たのですが(幼稚園の雪見遠足で一度だけ見ていますが記憶が曖昧なのでノーカン)、
スノボは楽しかったしまたやりたいとも思ったけど、やる前のイメージを大きくは超えてこなかったんですね。
だいたいこれくらい楽しいだろうなーと思ってたくらいの楽しさだったのです、僕の中では。
衝撃の定義
衝撃を定義するのは無粋かもしれませんが、
「それを知る前と知った後で生き方や考え方が変わってしまう」くらいなら衝撃と呼んでもいいと思います。
例えば、アイドルに衝撃を受けた人がグッズやCDを買い漁りライブやイベントに足繁く通い、
それまでとお金の使い方と時間の使い方がまるで変わってしまうように。
ただ、「衝撃を受けること」を目的にし始めるとおかしなことになってきます。
僕は学生時代に勉強のため、好奇心、現状を変えたいといった気持ちから、
様々なジャンルの名作に触れまくっていた時期がありました。
そんなことをしていると、自分の中に薄ら寒い気持ちがあることに気づいたのです。
それは、「この良さを理解できない自分は感性が鈍いのでは…」というしょうもない見栄。
そこから来る、大して良さが分からなかったのに「滅茶苦茶よかった」とうそぶいている浅ましい自分でした。
つまり、「○○に衝撃を受けた」って事実が欲しくて、いわゆるな経験に衝撃を受けたがってる状態になっていたんですね。
そんな人は僕以外にも大勢いると思います。
・黒澤明の作品にインスピレーションを受けたがってる。
・ビートルズの楽曲に泣きたがってる。
・ジョブズのスピーチに価値観を変えられたがってる。
・インドに行って人生観を変えられたがってる。
みたいな感じで、中には本当に衝撃を受けた人もいると思うのでとんだ風評被害ですが、
「衝撃を受けた」というポーズを取ることに必死で、自分の感受性に嘘をつきはじめるのは危険だと思ったわけです。
後から振り返れば、格好つけて色々なものに手を出す時期は必要だったと思いますが、
一歩間違えれば見栄を張ったり、自分をよく見せることが主目的にすり替わっていた可能性があります。
衝撃とは自分にとって新鮮で楽しくて、美味しくて、感動できて、という風に心が揺れ動くことのはずです。
他人にどう見られるかを気にするためのアクセサリーにしたら、疲れるだけで楽しくなくなってしまいます。
僕は自分が楽しくないのは嫌なので、高いお寿司を食べた時より名店のお肉を食べた時よりも、
スーパーで数百円で変えるふじっ子を食べた時の方が衝撃は大きかったなーと正直に思い続けます。
もちろんその衝撃の更新を諦めてはいませんし、必ずあると思います。
だってふじっ子ですよ!ふじっ子!
今だって嫌いじゃないけどさ…。
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