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高校時代の思い出がない、わけでもない

高校時代。

友達がほとんどいなくて休み時間は寝たふりをしていた僕ですが、3つの思い出があります。

①星を見るために白岩寺の山頂に登った

白岩寺山頂。わざわざ撮影に出向きました。

高3の初夏、7月くらいでしょうか。

隣町の山中にある白岩寺。

その奥がハイキングコースになっていて、山頂からは市街地を一望することできます。

誰が言い出したのか、なぜ行くことになったのかは覚えていませんが、白岩寺に星を見に行くことになりました。

 

僕自身は、退屈な高校生活に変化が欲しいと思っていたので「星を見に行く」ということで、何かが変われば…という淡い期待がありました。

まったく馴染めていない学校で毎日同じことの繰り返し。

欠席した翌日のクラスメイトの視線を想像してビビり、熱のある日でも登校して皆勤するほど小心者。

そんな僕が深夜から友達と合流して山に登るなんてイレギュラー中のイレギュラー。

まったく未知の非日常イベントでした。

 

暗い夜道をビクビクしながら登ること20分ほど。

山頂は開けていて星空がよく見え、夜景もなかなかのものでした。

夏だったのでそのまま草のうえに寝転がって、ガラケーで流行りのボカロ曲なんかを流しながら他愛もない雑談。

夜はゆっくりと更けてゆき、気づけば空が白んでいました。

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2020年1月5日

②雲の切れ間に流星群を見る

相変わらずうだつの上がらない高3の夏休み中。

友達から「今夜、流星群を見に行こう」という連絡が来ました。

予定なんてあるはずもなく「じゃあ行きましょうか」と即答。

しかし、ここ数日の天気はあいにくの雨でした。

その日も曇っていたので、星が見れるかは微妙なところです。

 

日は暮れて、星の見える場所よりも地面がぬかるんでいない場所を探して右往左往。

そうこうしている内に雨が降り出してきたので、学校に避難して怪談話をしたりトランプをやっていました。

雨は降ったり止んだりを繰り返して、次第に止んでいる時間が長くなりました。

友達は流星群のことはどうでもよくなっていたと思いますが、しつこい僕は適度に空を眺めて雲の切れ間を確認していました。

 

夜も更けた頃、トランプにも飽きてアスファルトの上にゴロリと寝転がって空を見ると、雲が流れて満天の星空が見えました。

しかも数十秒に1個くらいのペースで流れ星が見えます。

終始グダグダで今日は何だったんだと思っていましたが、これで全部がチャラになった気がしました。

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2020年1月20日

②肝試しと部室で夜明かし

母校。もう門をくぐることはありません。

あれはたしか、学校が始まってすぐの9月頃でしょうか。

近所のアピタのそばにある橋。

その橋を渡りきった先でお化けが出る。

そんな噂に大盛り上がりして、友達とお化けを探しにいく計画を練っていました。

 

すると近くで話を聞いていた人たちも話に乗ってきて、それなりの人数で橋に行くことになりました。

出発前にモチベーションを高めるために友達の家で「リング0」を鑑賞。

日が暮れてからみんなで橋へと向かいました。

これがフィクションならお化けの1つでも出て大盛り上がりを見せるところですが、実際にはまったく何も起こらず。

肩透かしを食らった面持ちで「このままグダグダして解散かなー」と思っていたら、急に雨が降り出しました。

 

自転車に飛び乗り全力疾走しながら「どうしよう、どこに行こう?」と話しているうちに、みんなの足は自然と学校へと向かっていました。

とにかく雨宿りをしたかったので部室棟にある、かつて所属していたテニス部の部室に避難。

その中で各々漫画を読んだり、雑談したり、ガラケーでアニメを見たりして夜を明かしました。

 

そういう時に僕は「受験勉強やらずにこんなことして大丈夫か?」とソワソワし出す損な性格。

どうせ何もなくてもそんなに勉強しないんだから黙って楽しんでおけばよかったものを…。

「ダメな自分を変えたい」を繰り返してる

2019年11月22日

高校時代の思い出がないわけでもない

思い出は3つとも夜、いずれも教室の思い出ではありません。

見る人によっては「そこそこ楽しそうな高校生活してるよ」と思うかもしれません。

けど、こんなの後出しジャンケンみたいなもので、過去の意味はいくらでも変えてしまうことができるんですね。

 

高校生活の思い出に学校行事が一つも挙がらないのは、少しだけ寂しいことだと思います。

文化祭でも修学旅行でも体育祭でも部活動でもなく、思いついたのは星を見るために暗い夜道を歩いていたこと。

誰になんと言われようとも、どれだけ学校生活に馴染めていなかったかは、僕が一番よく分かっているのです。

けれど、これらの思い出は、あの心境でなければ何も感じることもなかったであろう出来事です。

消えかかった記憶を手繰り文字に起こすことで、当時の僕が少しだけ救われたような気がします。

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