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ブログは「職人」であるべきか「芸術家」であるべきか

ひたすらに変化を求めるべきか、変わらないものを作り続けるべきか。

どちらがいいと思いますか。

今回はそんな話です。

老舗パン屋の変わらない味に驚く

地元の駅前に創業40年以上の老舗のパン屋さんがあります。

僕が通っていた幼稚園では給食とお弁当の日が交互になっていましたが、

お弁当の日に100円を持っていくと幼稚園でパンを買うことができました。

そのパンを仕入れていたのが、老舗のパン屋さんです。

高校時代は昼休みになると、昇降口付近にパン屋さんが来てパンを売っていました。

その時来ていたのも、そのパン屋さんでした。

 

僕がいつも買っていたのはUFOパン。

外側にカリっとした羽がついていて、中はフワッとしている、一見メロンパンのようにも見えますが似て非なるものです。

コンビニやスーパーに似たような見た目のパンがありますが、あれともまったく違います。

味も食感も美味しさも別物。

UFOパンは僕が幼稚園の頃からまったく味が変わっていません。

最近久しぶりにUFOパンを食べてみたのですが、やっぱり何も変わっていませんでした。

UFOパン

久しぶりに購入。ラストの1個でした。

「継続できない」を克服して安心するのは「現状維持」の始まり

2020年1月13日

「変わらない」と「変化し続ける」、どちらがいいか

変わらない味を維持し続けるのは、すごいことだと思います。

パンのラインナップはお客さんのニーズと言うふるいにかけられ続けてきたはずです。

それが何十年も変わっていないということは、そのメニューは「完成」しているということ。

多くの人に愛されているから、そのまま残しているのでしょう。

 

ただ、そういう時に必ずと言っていいほど挙がる問題が「向上心」です。

「改良改善を重ねて味を上げれば、もっと売れるんじゃないのか?

「今の状態に満足してたら今以上にはなれないのでは?」

みたいな意見ですね。

これって難しい問題です。

 

アップルとかマイクロソフトは、どんなにいい物を作っても次々と新作を出していきます。

過去の栄光に執着していないんですね。

もちろん、評価はその都度バラバラ。

「iphoneは5sがよかった」

「OSはWindowsXPが最強だった」

「今回のはだめ、もう終わったな」

みたいな意見を受け続けてきたのです。

面白いのは傑作と呼ばれるような物が出来ても次のシリーズでは、平気でデザインや仕様を変えてきたりすることです。

もちろん、過去の良い部分を踏襲していたり、ユーザーの意見を反映していることもありますが、大胆にガラリと毛並みを変えてくることも少なくありません。

あーだこーだ言いながら、なんだかんだで新作発表を楽しみにしてしまう人が続出するのも頷けます。

何が出てくるか、どうなるかが分からないってワクワクしますからね。

人は守りに入った瞬間からつまらなくなる

2020年1月5日

「進化」のソニーと「変化」の任天堂

日本を代表するゲームハードを出している会社と言えばソニー任天堂です。

この二社を比べると面白いようにスタンスが異なることに気づきます。

ソニーの出しているプレイステーション(以下PS)は一貫して「リアルな映像」の進化に舵を切っています。

ハードの名前もずっと「プレイステーション」で、新しくしても後ろに数字やアルファベットがつくだけというシンプルなもの。

言うなれば、一つの方向でクオリティの高いものを作り続ける職人的なハードなんですね。

 

対して任天堂は常に変化を求めてきた芸術家のようなハードでした。

コントローラーだけ見てもその変化はPSとは対照的。

最初の形状やボタン配置をほとんどそのまま維持し続けているのがPSで、

任天堂は形からボタンまで常に新しいコントローラーを出し続けています。

ハードを見るとPSが映像美を追求しているのに対して、

任天堂はタッチ画面やモーションセンサー、据え置き携帯両用にするなど、賛否両論問わず常に新しい体験を提供しようとしています。

 

変わらないものを作り続ける職人か、変わり続ける芸術家か。

 

時期による優劣はあれど、どちらの会社も成功し続けているということが答えではないでしょうか。

というかどちらも方向性が異なるので共存できていると言った方がいいのかもしれません。

リンクはかっこいい。大切なことは「ゼルダの伝説」から学んだという話

2019年10月28日

ブログは職人であるべきか、芸術家であるべきか

私見として、ブログは芸術家のスタンスで行った方がいいと思っています。

というのも、職人的な方向性で進むのは効率が悪いうえに、単純な力量差で積む可能性があるからです。

例えば、文章力を磨いてそれだけでやっていこうとすると、上にはいくらでも上がいることに気づかされます。

(有名アフィリエイターのクロネコ屋さんなんかは元作家です)

 

その割に、文章って上手ければ上手いほどいいとは一概に言えないんですね。

太宰治や夏目漱石の小説よりもラノベやスマホ小説の方が面白いという人は大勢いるだろうし、

綺麗に整った新聞コラムよりもツイッターのつぶやきの方が多くの人の心を動かす場合は多々あります。

文章力を競うのではなく、「いかに人の心を動かすか」を考えて立ち回った方が結果的に挫折しにくくなるんじゃないかということです。

 

それは、もちろん文章力が必要ないという話ではありません。

自分にしか書けない文章や新しいやり方が、結果的にまったく別の角度から「文章力」を打ち負かすことがあるかもって話です。

映像がそこまで綺麗じゃない任天堂ハードがずば抜けた映像美のPSに勝ったことがあるように。

ブログに文章力でしか戦ってはいけないなんて決まりはないのだから、自分にずば抜けた文才を感じない人はあの手この手で試行錯誤していった方がいいのです。

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