20代30代と歳を重ねていくと、3つの波で友達と疎遠になっていくと聞いたことがあります。
第1波は社会人になったことで。
第2波は結婚したことで。
第3波は子どもが生まれたことで。
社会人は学生時代のような時間の使い方ができなくなります。
そこに結婚や子どもまで入ってくれば疎遠になるのも無理はない話ですね。
かくいう僕も元々少なかった友人たちと、年々疎遠になっていってます。
・疎遠になった友人とのエピソード(4コマ漫画)
・友達にまつわる印象深い詩
・疎遠になるのを防ぐ方法、疎遠の状態から交友関係を復活させる方法
疎遠になった社会人の友達
決して仲が悪かったわけでも喧嘩したわけでもないけど、ここ数年会っていない友達がいます。
友達の名はさとちゃん。
さとちゃんとの何でもない、しかしやけに印象に残っているエピソードをいくつか思い出してみました。
小高い丘の向こう側にダム湖がある。
丘を越えればもっと水辺に寄れるんじゃないか、そちらがどうなっているのか気になってさとちゃんと丘を駆け上ろうとしたことがありました。
その時足元から羽音が聞こえてきて、視線を落とすとスズメバチらしき蜂が何匹も土の中から出てきました。
ダッシュで駆け下りて丘超えを断念。
ダム湖には未だに近づいていません。
山奥にある温泉に行ったとき、少しでも体を疲れさせるために階段ダッシュをすることにしました。
階段の両脇は林。
登っている途中、横から動物の唸り声が聞こえてきました。
唸り声にいち早く反応したさとちゃんはダッシュで階段を降りましたが、途中で転んで足を怪我してしまったのです。
お決まりのランニングコースは川沿い。
夜の時間帯、途中にある線路を遠くから眺めると電車だけが浮いているように見えて、それを見るたびに僕は「銀河鉄道の夜!」と叫んでいました。
銀河鉄道はさとちゃんにとってはどうでもいいことのようで、彼は黙々と自分の走りをしていました。
さとちゃんと最後に遊んだのは焼肉を食べに行った日でした。
いつも通り、いつも通り過ぎる日常。
この日を最後にさとちゃんとは連絡を取っていません。
疎遠になるであろう友達との別れ
「ほいじゃ、また今度!」
「おう!バイバイ!」
こんな風に軽いノリで別れて、それきり何年も会っていないという人は大勢います。
というか、ほとんどの場合がそうでしょう。
これが最後になるかもしれないと思いながらしみじみと別れを告げることなんてそうないのです。
そう思えてしまうのは、お互い連絡先が分かっていてどこにいるかも分かっているから。
「会おうと思えばいつでも会える」という気持ちが別れのリアリティを薄めまくっているんですね。
積まれた本やゲームに手をつけるのがいつになるのか分からないように、「いつかまた会える」という軽さが実際の行動を後回しにさせます。
そうしている内に生活はどんどん忙しくなっていき、いつの間にか連絡先すら分からなくなってしまいます。
中国の唐の時代の詩人である李白の作品に、これが今生の別れになるかもしれないことを予感させる別れの詩があります。
「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」
古くからの友人(孟浩然)が西にある黄鶴楼に別れを告げ、
霞だって花が咲く三月に揚州へと下っていく。
遠くなる舟の帆が青空に消えていって、
ただ、長江が天の果てに向かって流れていくのを見るだけになった。
【原文】
故 人 西 辞 黄 鶴 楼
煙 花 三 月 下 揚 州
孤 帆 遠 影 碧 空 尽
惟 見 長 江 天 際 流
【書き下し文】
故人西の方、黄鶴楼(こうかくろう)を辞し
煙花(えんか)三月揚州(ようしゅう)に下る
孤帆(こはん)の遠影(えんえい)、碧空(へきくう)に尽き
惟だ見る長江の天際(てんさい)に流るるを
この詩の情景はありありと目に浮かびますが、現代的な感覚ではここまで劇的な別れの風景は実際にはほとんどありません。
友の乗った電車を追いかけて転んだことはありません。
背中が見えなくなるまで手を振って誰かを見送ったこともありません。
「もう会えないかもしれない」と思いながら別れることなんてそうそう無いんですね。
李白の生きた時代は手軽な連絡手段がないし、戦争や病気があればお互いどうなるかも分かりません。
何より中国は広すぎます。
お互いにこれが最後になるかもしれないことを覚悟していたのでしょう。
こういった気持ちを100理解するのは難しいかもしれませんが、自分が疎遠になった友達との最後の記憶を振り返ると、
何でもないような、明日も普通に会うかのような何気ない別れのシーンが不思議とキラキラ輝いています。
その瞬間はとてもそれとは気づかず、後出しジャンケンのように振り返ってからしみじみと別れを理解します。
きっとそんな別ればかりなのでしょう、これからも。
社会人になって友達と疎遠になるのを防ぐ方法
疎遠になることを防ぐ最も効果的な手法は「共通の趣味を持つこと」です。
スポーツ、アウトドア、ゲーム、バイクや自転車など一緒に楽しめる共通の趣味がある人とは長く関係が続きます。
趣味に取り組むことが目的となって、友達と会うことが手段になるのがいいのかもしれません。
遊ぶ=ご飯を食べに行くだけの友達は疎遠になりやすい気がします。
特に協力プレイ型のゲームなどはオンラインでできるので、忙しい平日は一緒にゲームをして休日には会って飲みに行くみたいなルーティンが出来てマンネリ化しない交友関係が続くでしょう。
疎遠になりそうな気がする友達がいて、長く関係を持ち続けたいと思うなら「一緒に何かを始めてみない?」と提案するのがいいです。
そして、疎遠になってしまった友達と国交を修復したいという場合。
連絡先が分かっているなら普通に連絡してみれば簡単に関係が復活します。
「なんか連絡しづらい」、「特別用もないのに連絡したら迷惑かも」は杞憂であるかと思います。
月日が流れて生活が色あせているように感じているのは誰にでもある心境。
そんな時に懐かしい人から連絡が来れば、それが非日常になるので割と嬉しいんじゃないでしょうか。
そこで飲みに行った時に盛り上がるようであれば、↑の「共通趣味を作ろう」の提案すればOKというわけです。
ここまで書いてそれを全部ぶった切るようで恐縮ですが、
人間みんな一人なんだから孤独になったらなったでいいんですよ。
遠く過ぎてから分かる別れの日を思い出して、あなたは一遍の詩を作ればよいのです。
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