多様性を認めます、柔軟な考え方ができます、
という体(てい)であらゆるものを肯定する人がいます。
はっきり言うと、僕はそういう人を見ると虫唾が走ります。
あらゆる物事が自分の感性にマッチするなんて大ウソもいいとこだし、
「とりあえず乗っかっておけばいいだろう」という安易な思考停止策に狡猾な性根が垣間見えるからです。
決して否定しない、何でも肯定することができる人は優しい心の持ち主だと思います。
好きでないから、理解できないからと言って否定すれば、それを好きかもしれない人を不快な気持ちにさせてしまうかもしれない、
そんな他者への配慮ができるのは、誰も傷つけたくない、誰とも争いたくないという気持ちがあるからでしょう。
優しいから、本音を押して忍ぶことができるのでしょう。
反対意見と賛成意見は同時に考えるもの
「あらゆるものを肯定する」というスタンスに対して別々の観点から意見を述べてみました。
ここで言わんとすることは、
どちらがいいとか、本音で生きようとか、和を乱さないようにしよう、ということではなく、
色んな立場から意見を考えてみることの重要性についてです。
文章を書いたり、SNSで発信していると、どうしても煮詰まってしまうことがあります。
自分の中での決まったパターンの意見しか出てこなかったり、慣れ親しんだ手法に頼ってしまったり、
なんとなくマンネリ化して「これではつまらない」と思っても、違った切り口を探すことが苦手。
そんな悩みを抱えている人は僕以外にもいると思います。
冒頭で行ったのは、その問題を打破することができる(と思われる)思考力を鍛える方法です。
あくまで僕が勝手にやっていることなので、科学的な根拠や期待できる効果は未知です。
僕自身は思考の切り口を増やすのに役立っていると感じているので、何かの参考になればと思います。
思考力を鍛える方法
古典的なディベートのテクニックに「悪魔の代弁者」という方法があります。
悪魔の代弁者とは、ディベートなどで多数派に対してあえて批判や反論をする人、またその役割。
ディベートのテクニックのひとつである。同調を求める圧力などで批判・反論しにくい空気があると、議論はうまく機能しなくなり、健全な思考ができなくなることが往々にしてある。それを防ぐ方法として、自由に批判・反論できる人物を設定することがある(wikipedia)
言ってしまえば、僕が行っている方法はこれと同じです。
ニュースや情報に触れた時にあえて自分と反対の意見や別の立場から考えてみる、それだけです。
具体的な例としては、
・どう見ても悪者な人を弁護してみる
・嫌いな人の理解者になってみる
・自分が好きな作品を嫌いな人がいるとしたら、どこを指摘してくるかを考える
など。
究極的には、自分の意見が浮かんだと同時にそれを否定する意見も浮かぶのが理想です。
異なる意見を吟味したうえでそれでも自分の意見を押し通そうとする時もあれば、
まったく別の視点からの意見が浮かんだり、あえて反対意見で行こうかと思ったり、
意見の切り口が格段に増えるからです。
「人それぞれだよね」は逃げ
この方法に慣れてくると、どうしても本音が言えなくなったり、自分の意見に自信が持てなくなる可能性があります。
色んな視点で見れるから「人それぞれだよね」というところに着地するしかなくなるのです。
それを防ぐためには、あえて特定の意見を選ぶ勇気を持つ必要があります。
色んな考え方があるのになぜそう思うのか?
なぜそう言えるのか?
考えうる反論に対してどう考えているのか?
「人それぞれ、どんな意見があってもいい」は前提の話。
思考力を鍛えるためには、あえて特定の意見を選んでそう思った理由を考えていくことが大切だと思います。
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