どこか遠くへ行きたい、と常々思っています。
「片雲の風に誘われて 漂泊の思いやまず」というやつです。
かっこいい目標なんてありません。
映えるようなドラマ性もありません。
市街地を離れて山中深く、草木をかき分けて進む。
それだけでも楽しいです。
今回はそんな放浪に関する雑記的な小話を、3本立てくらいでお送りします。
放浪したい心理
「僕は八幡学園に六年半も居るので 学園があきてほかの仕事をやらうと思ってここから逃げていかうかと思っているので へたに逃げると学園の先生につかまってしまふので上手に逃げようと思って居ました」
放浪の画家・山下清は初めて旅に出た時、こんな日記を書いています。
清の放浪の目的は「学園生活への飽き」ともう一つ、「徴兵回避のため」がありました。
そういった動機のさらに根底にあったのは、「自由であること」への渇望です。
人には一つの場所に留まっていられない、何か目的とか理由があるわけじゃないけど、とにかく放浪したいと感じてしまうタイプがいます。
清はまさにそのタイプ。
あまりにも勝手にフラフラしてしまうので、「もう放浪はしません」という誓約書を書かされたという話が残っているほどです。
それでも、先生や家族の心配をよそに、こっそりと準備をしていきなりフッといなくなる。
僕は、清のこの気持ちがよく分かります(分かる気がします)。
学校や仕事など、容易に抜け出せない日常があるときに限って、
外は真っ青に晴れて、穏やかな風が吹き、どこからか水の流れる音が聞こえてきます。
「今日は予定を全部キャンセルして、文庫本を1冊持って森に散歩にでも行きたいなぁ」
と思ったことは一度や二度ではありません。
そんなことを思ってしまったが最後、もう「森を散歩」の口になってしまっているから、
狭い部屋に押し込められて授業や仕事をするのが、本当に憂鬱になってしまうのです。
そんなこと言ったら、誰だってそうでしょう。
足を動かして実地に赴き、様々なものを見聞きしてあてもなくさすらう。
放浪とはそれだけで目標達成だし、大成功なんです。
日本を放浪したい
放浪の旅の目的地はいつも適当ですが、
好きな作家にゆかりのある場所だったり、生誕の地には行ってみたいと思います。
中原中也と種田山頭火の山口県。
水木しげるの鳥取県。
エンデ美術館のある長野県。
こんな風に、僕は県名と人名をセットにしてメモを残してあります。
そういった動機がなくても、全部適当、気の向くままに、の放浪も楽しいものですが、
行き先の土地の歴史を事前に学んだり、実際にその土地の人に話を聞くのはかなり面白いです。
例えば、僕の住む街には「松葉町」という地区があります。
一昔前の、古い世代の人たちには、時々こんなことを言う人がいたそうです。
「松葉には嫁はやらん」
「松葉町の者とは仲良くするな」
ずいぶんと差別的、彼らはなぜこんなことを言うのでしょうか。
実は、松葉町は江戸時代はえたひにんが住む地区だったと言われているのです。
「えた」とは、士農工商のカースト最下層に位置している罪人などの訳ありの人たち。
これがどこまで本当の話か、真偽はともかく年配世代にはその噂を信じていた人がいたことは確かなのです。
今では松葉町に偏見を持っている人はほとんどいません。
悪い印象や差別を無くすためにも隠しておいた方がいいのかもしれません。
ただ、そんな歴史があった、こういうことがあった、という事実を知ることはすごく興味深いです。
ネット上では見られない景色、歴史はたくさんあるのです。
世界を放浪したい
放浪したい土地は海外にもあります。
ヘルマン・ヘッセのドイツ。
トーベ・ヤンソンのフィンランド。
そして、アンデルセンのデンマーク。
アンデルセンと言えば童話で有名ですね。
しかし、彼自身の生涯も波乱に満ちた物語のようであったことは意外と知られていません。
「私の生涯は波乱に富んだ幸福な一生であった。それはさながら一編の美しい物語である」(『わが生涯の物語』より)
この書き出しは決して誇張ではなく、彼の生涯は本当に紆余曲折。
作家としての成功の裏側では、容姿や対人関係に対する強い劣等感に悩まされていたことが分かっています。
歌手の夢に破れ、学校では学長に自分の創作を馬鹿にされて、恋愛は失敗続き。
ヨーロッパ諸国を旅して回りながら童話を書き続けて、とうとうデンマークの国民的作家と呼ばれるまでに成長しましたが、一概に「よかったね」でまとめられない哀愁があります。
僕もアンデルセンのように諸国を放浪したいと思うし、
アンデルセンが育ったデンマークの街に行きたいという気持ちもあります。
年を重ねて体力気力が衰えてくると色々とどうでもよくなってくる、
と聞いたことがありますが、今のところは放浪への憧れは強まるばかり。
乗り物に弱いので飛行機は苦手ですが、頑張るつもりであります。
コメントを残す