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卒業式中止で嬉しいのは…

全国の学校が休校になって、

中には卒業式が中止になっているところまであると聞きました。

ツイッターを覗くと、学生の中には卒業式中止の反対運動をしている人もいて、

僕はというと「卒業って…なんだろう?」なんて、尾崎豊のようにシリアスなテンションになっていいました。

卒業式中止で嬉しいのは…

学校の休校、卒業式の中止。

その情報を知って最初に考えたのは、経済的な影響や共働き家庭の苦労などよりも、

「自分が学生だったら」

ということでした。

僕は学校にこれといった思い入れもなかったので、おそらくこの知らせに歓喜していたと思います。

なんてことは不謹慎だし、卒業式を楽しみにしていた人も大勢いると思うので、

リアルであけっぴろげに語るわけにもいきませんが…。

 

実際、僕は卒業式に出たくないなーと思っていました。

中学の卒業式は、早く家に帰ってゲームをやりたかったので、

卒業式が終わると速攻で帰宅したことを覚えています。

正門近くに集まっていた人たちや、部室棟に向かっていった人たち、

彼らが何を話して、何をしていたのか知る由もありません。

 

高校時代。

僕は無駄に皆勤賞をとってしまい、卒業式の前に壇上に上がり表彰されたのですが、

それが本当に嫌だったなーと思っていました。

その皆勤は健康の証ではなく、

「一度でも休んでしまうと気まずくなって二度と教室に戻ってこれないかもしれない」

というだけの、ナイーブさの象徴だったからです。

式が終わり教室で先生の話が終わると、立ち漕ぎで帰宅しました。

黒筒に入った卒業証書、小中高白紙の卒業アルバム、

白と黒でまるでお葬式です。

 

「3年間部活や勉強をともにした仲間との別れなのに!」

「この日のためにいっぱい準備や練習をしてきたのに!」

そんな一生に一度しかないイベントが中止になったことを悲しんでいる人もいれば、

「よっしゃ!家でゲームできるぜ」とほくそ笑んでいる僕のような人もきっと大勢いて、

それはそれで10代らしい、健全な歪み方だなあと思いました。

青春コンプレックスの辛い鬱状態をブログで攻略する

2019年9月5日

卒業式中止のその先へ

卒業式中止の中止を求めている人たちは、もしかしたら何かが起こらないこともないので、

それをすることには意味があると思います(やり場のない気持ちのはけ口としても)。

実際に名古屋市は「卒業式はやっぱり実施します」と言っていますしね。

 

ただ、決まってしまったらどうしても変えられない場合だってあるし、

どれだけ署名が集まってもどうしようもないこともあるので、その事実を前向きに受け入れることも必要かと思います。

例えば、東京大学の卒業式は大正7年に一度廃止されています。

遡って大正7年[1918]、山川総長時代に卒業式の廃止が決まった。学問の道は生涯続くのに「卒業は即ち学問を終えることと誤解して小成に安んずる者」がある、というのが理由だと『東京帝国大学五十年史』は述べている。

文学散歩【7】中野重治『むらぎも』の安田講堂卒業式

屁理屈のようにも聞こえますが、実際に社会人になってから学問から遠ざかってしまう人が大勢いるのは事実です。

そうなる原因が卒業式にあるとは考えにくいので、やはり無理やりな廃止ではありますね…笑

実際、卒業式は昭和3年に復活しているので、反対の声も多かったのでしょう。

 

それでは不可抗力で卒業式が中止になってしまった人は、どうやって納得すればいいのでしょうか。

反対を唱えてひっくり返るならいいですが、もう決まってしまったものとして受け入れるしかないなら。

 

学問の道に終わりなし!

天はまだ私に学び続けろと言っている!

 

そんな感じで、自分の年に卒業式が中止になった意味を、無理やりでもいいので考えるしかないと思います。

物事どんな逆風にあってもそうやって考えていれば、

なんとなくだけど粋(いき)っぽく見えてくるじゃありませんか。

とにもかくにも全国の卒業式中止学生の皆さん、

ご卒業、おめでとうございます。

 

形式的にステージが変わって、華々しく式を行ったからといって、

そんなの誰かが決めた設定をなぞってるだけです。

式をしてないから卒業してないってことにはならないし、

式をしたからといって生物として変化が起こるわけでもないです。

僕は何かを卒業したような実感なんてないし、あの頃から何も変わらず笑ったり苦しんだりしています。

高校時代の思い出がない、わけでもない

2020年1月21日

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