4/1の誕生花は桜。
日本の桜の8割を占めているのはソメイヨシノと言われていますが、この品種が開発されたのは江戸時代後期。
明治政府のイメージ戦略、それから昭和の高度経済成長期に全国で植えられまくって今に至るそうです。
西行の和歌で詠まれているのはヤマザクラ。#桜 pic.twitter.com/3G5hnshAzs— 渡辺(ブログ屋) (@QMUbsDOb8SJfMLI) April 1, 2020
自転車にまたがって、あちこち走り回って桜を見ています。
公園の池周り、古い工場の裏側、学校の校門近く、人の来ない古池など。
山村の奥にある農業用の沼。
その沼に被さるようにギリギリで立っている桜。
人は来ない、誰も知らない、けど毎年咲いている。 pic.twitter.com/fPehftHC4k— 渡辺(ブログ屋) (@QMUbsDOb8SJfMLI) March 30, 2020
せっかくなので、ここ数日の桜フォルダを載せていこうと思います。
ただ、もそっと写真だけ並べても味気ないので、桜の歌人として有名な西行法師の歌と合わせて紹介していきます。
※西行は平安時代から鎌倉時代初期にかけて活動していた歌人。元武士で本名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。
もっとラフに一言で言うなら、諸国を旅しながら詩を作っていた人。
目次
「なにとなく 春になりぬと 聞く日より 心にかかる み吉野の山」
(春になったと聞いた日から吉野山のことが気にかかって仕方ない)
春が来て吉野山の桜が咲いたかどうかを気にしている歌です。
楽しみな予定、待ち遠しいイベント、子どものように明日を楽しみにしていたことって最近なかったような…。
淡々と日常を消化していくことに慣れてしまうと、明日に期待することがなくなります。
僕が会社員をしていた頃は、土日だけを待ち望みながら他の曜日は何も考えずに過ごしていました。
こうして色んな場所に咲いている桜を見に行こうなんて、考えもしませんでした。
「吉野山 こぞの枝折(しおり)の 道かへて まだ見ぬかたの 花を尋ねむ」
(吉野山では去年も花見をした。山中深く分け入ったので枝折の道標をつけなければ帰れなかったが、今年は新たに枝折をつけてまだ見ていない方角の花を見よう)
西行さん、桜好きすぎる。
どれだけ好きだと言葉にするよりも、「枝を折って目印にしなければ帰れないほど奥に進んだ」というエピソードで十分に愛着を感じますね。
桜と言えば桜並木。
僕の住む地域には川沿いに立ち並ぶ桜はありますが、全体が桜に包まれるような山はありません。
枝折しなければ迷ってしまうほどの桜一色の景色、想像するだけでもワクワクしますね。
「あくがるる 心はさても 山桜 散りなんのちや 身に帰るべき」
(山桜が咲けば心が浮かれ出てしまう。せめて散った後にはわが身に戻ってきて欲しいのだが)
西行の詠む桜の歌には、たびたび心身剥離の不安と恍惚が表現されています。
春が訪れるとソワソワして、桜が咲けば忘我の境地で昼夜問わず山の中を歩き続ける。
そして、花と一体化した心境を歌に込める。
忘我の境地とまではいかなくても、何かに熱中していたり集中していると余計なことを考えなくなって対象への意識だけが残ります。
西行は桜に没頭した感覚の心地よさや心の静寂を何とか形にしたかったのではないでしょうか。
「花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふ我が身に」
(花の色に心が染まっている。すべての執着を捨ててきたつもりなのに、どうして花に執着する心が残ってしまったのか)
西行は23歳の時に「北面の武士」の地位を捨てて出家しています。
「北面の武士」と言えば超エリート、源氏も平氏も元は「北面の武士」出身です。
そんな立派な地位を捨てて、住んでいた屋敷も捨てて、極めつけは妻と幼い娘すらも捨ててしまいます。
その際、袖に寄りつく娘を自宅の縁側から蹴落としている絵が残されているくらいなので、当時の感覚としても西行の出家は常識はずれだったのでしょう。
しかし、俗世への執着を全て捨てたつもりでも、桜を愛でる気持ちだけは生涯捨てることができなかったのです。
「もろともに 我をも具して 散りね花 憂き世を厭う 心ある身ぞ」
(花よ、散るのなら私も一緒に連れていってしまえ。私にも辛い世の中を嫌う気持ちがあるのだ)
妻子も社会的な地位も捨てた西行には俗世に辟易していた側面があったのでしょう。
出家の理由には友人の死、失恋(!?)、政界に嫌気が差したなど諸説あります。
散っていく桜に自分を重ねて「共に連れて行ってくれ」。
切実な歌ですね。
西行はこれ以外にも「春に桜の下で死にたい」と詠んでいる歌があります。
西行法師と桜の歌
・「なにとなく 春になりぬと 聞く日より 心にかかる み吉野の山」
・「吉野山 こぞの枝折(しおり)の 道かへて まだ見ぬかたの 花を尋ねむ」
・「あくがるる 心はさても 山桜 散りなんのちや 身に帰るべき」
・「花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふ我が身に」
・「もろともに 我をも具して 散りね花 憂き世を厭う 心ある身ぞ」
今回は西行の桜についての歌を5つ紹介しました。
実はこれ以外にもまだまだ西行の桜の歌はあります。
西行の歌集「山家集」に収められている桜の歌はなんと100首以上。
注釈や訳が分かりやすいと言われているのは角川ソフィア文庫から出ているバージョンです。
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